テーマ:布都の舎つれづれ

第四巻 甲寅 11月23日

三つの柔術の系統 柔術には三つその系統があるように思われる。よく柔術の源流を相撲にみようとする人もいるが、相撲のようなレスリング系の体が密着するような間合いと、柔道のようなやや体が離れた間合いとではその技術の系統を異にしていると見るべきであろう。さらに武器を相手に想定した合気道などでは、その間合いはより遠くなっている。もちろん自然…
トラックバック:0
コメント:0

続きを読むread more

布都舎漫筆 甲字2号

第二巻 甲戌 10月14日 合気二刀剣のこと 宮本武蔵の二天一流をはじめとして二刀を使う流派はいくつかある。しかし、その場合には大刀と小刀が使われる。合気二刀剣のように大刀が二本使われることはない。このような使い方がなされるのは中国武術の双剣や双刀である。中国は古くから同じ武器を両手で持って使うことが多い。手斧などもよく使われて…
トラックバック:0
コメント:0

続きを読むread more

布都舎漫筆 甲字1号

布都舎(ふつのや)漫筆は、国学などの雑談をお届けするものである。甲巻は、甲の日に発表することを予定している。十月の甲の日は、4日の甲子(きのえね)であるが、第一号は両儀堂の設立記念日である10日の公開とした。次回は十四日の予定である。 魚養経の美 奈良時代後期の写経に魚養(ぎょよう)経なるものがある。これは薬師寺に伝来する大般若…
トラックバック:0
コメント:0

続きを読むread more

三井記念美術館「東山御物の美」

東山御物とは、足利義政が作ったコレクションである。 これは、中国渡来の絵画や陶器などの唐物(からもの)を主としていた。それに対して利休の侘茶は、こうした豪華な唐物を排する傾向にあった。 現在では、日本の美は、「侘」の中にあるように思われているが、私見によれば、むしろ「東山御物」の如くの視線こそが、日本文化を考える上で重要では…
トラックバック:0
コメント:0

続きを読むread more

Nature in Short  ケビン・ショート

読売新聞の英字版には、「Nature in Short」というおもしろいコラムがある。 毎回、時々の身近な自然が、植物や昆虫、動物などとともに紹介さえれている。 特に見るべきは、民俗信仰にも触れていることである。 民俗信仰は、自然と等しいということができる。 日本人の自然と接するひとつの方法が民俗信仰であったので…
トラックバック:0
コメント:0

続きを読むread more

五島美術館「祈りの造形」展

写経を中心とする展示である。 今回は、とくに絵因果経の展示が、いくつかあり、興味をひかれる。絵因果経は、昨年から東京国立博物館、大和文華館、芸大美術館などで見ることができた。 平家納経も美しいが、絵因果経の絵の稚拙な感じがなんとも愛らしい。 ほかに「焼経」といわれる火災にあって一部が焼けている経も展示されている。この焼…
トラックバック:0
コメント:0

続きを読むread more

東京国立博物館「台北 国立故宮博物館」展

「白菜」の熱狂も一段落ということで、展示会場も、ある程度の平静をとりもどしたのではないか、と思われる。 今回、王羲之の「遠宦帖」や「大道帖」も来ているのであるが、あまり話題にならないのは、何故であろうか。 書で注目すべきは、蘇軾の「寒食詩巻」であろう。これは、台湾では「白菜」よりも人気がある(と思う)。 今回、宋代の書…
トラックバック:0
コメント:0

続きを読むread more

サントリー美術館「徒然草」

今年は先に金沢文庫で「徒然草と兼好法師」展があり、サントリー美術館でも、この「徒然草」展があったので、なにかと『徒然草』についての知見を深めることができた。 サントリーでは「美術て楽しむ古典文学」と 副題をつけているが、『源氏物語』などと違って、なかなか『徒然草』はビジュアル化しにくいもののようであった。 今回の目玉は、海北…
トラックバック:0
コメント:0

続きを読むread more

菅茶山記念館

昨日に続いてローカルな、施設の紹介である。 菅茶山については、昨年に紹介したこともあると思うが、福山藩の儒学者である。 茶山は、私塾である廉塾を開いていた。その規約の第一にあげられたのは、毎日の読書である。 ほかにも詩を作ることも重要であるとするが、なにを置いても、読書が重要であると、繰り返し指摘している。 これ…
トラックバック:0
コメント:0

続きを読むread more

高月観音の里歴史民俗資料館

米原から北陸本線に乗り換えて、高月で下車する。 湖北の田園風景を眺めながらしばらく歩くと高月観音の里歴史民俗資料館へ着く。 現在は「戦火をくぐり抜けたホトケたち」と題する展示が行われている。 かつて琵琶湖周辺は、湖上交通が発達しており、街道の要衝の地もあり、独特の文化を持つ地域であった。 井上靖の『星と祭』を読ん…
トラックバック:0
コメント:0

続きを読むread more

町田市立国際版画美術館「パブロ・ピカソー版画の線とフォルムー」

ピカソは、多くの作品を残したことで知られているが、版画だけでも、2000点を越える作品があるらしい。 それにしても、若い頃から晩年にいたっても、創作の力が全く衰えていないのには、驚く限りであった。 おそらくピカソの頭の中には、数百年分の構想があったのであろう。 興味深いことに、ピカソの版画には、土偶と同じデザインのもの…
トラックバック:0
コメント:0

続きを読むread more

源氏物語絵巻

現在、文学は文学、美術は美術として楽しまれるが、かつては文学と美術は、ひとつのものとして味わわれたのである。 太極拳や八卦拳も、ただ「武術」としてだけではなく、健康法であり、身体芸術であり、思想運動として学ばれたのであった。 現在、五島美術館で公開されている「源氏物語絵巻」は、実に美しい。古典の学習も、このような絵巻形式であ…
トラックバック:0
コメント:0

続きを読むread more

『風姿花伝』の教え(8)本来の自分「花」

最後が「五十有余」である。五十歳以降である。 ここで世阿弥は、五十二歳で亡くなった父・観阿弥について感慨をもって書いている。 およそ『風姿花伝』を書いた動機は、ここにあると言っても良いであろう。 観阿弥の亡くなる半月ほど前に、能の興行があった。そのときの観阿弥の様子を次のように記している。 「安きところを、少々(…
トラックバック:0
コメント:0

続きを読むread more

『風姿花伝』の教え(7)我が身を知る心

これよりは、心身の衰えた中での稽古や演技を行わなければならない「四十四五」である。 これまで、とはおおいに違ったやり方をしなければならない、という。 「身の花も、よそ目の花も、失するなり」 体も若い頃のようには動かないし、見た目も「年齢」を感じさせるようになる。 四十五歳前後からは、あまり無理な稽古をしてはならな…
トラックバック:0
コメント:0

続きを読むread more

『風姿花伝』の教え(6)なお慎むべし

本当に大成への境地に入ることができるのが、「三十四五」である。 世阿弥は、芸能の上達は、この年齢までで、後は下るのみ、と述べている。 「上(あが)るは三十四五までのころ、下(さが)るは四十以来なり」 おそらく現代人にあっても、三十四歳、三十五歳あたりが、ひとつのピークになるのではないかと思われる。 ただ、心技の絶…
トラックバック:0
コメント:0

続きを読むread more

『風姿花伝』の教え(5)大成への謙虚さ

一応の大成が得られるのが、「二十四五」である。 七歳から稽古をしているので、すでに二十年ほどの稽古を積んでいる。 「このころ、一期(いちご)の芸能の定まる始めなり」 大成への入り口に来ている、というわけである。太極拳なり、八卦拳を体得した、と言っても良いレベルである。 ここで重要なのは、慢心をしない、ということで…
トラックバック:0
コメント:0

続きを読むread more

『風姿花伝』の教え(4)停滞期の稽古

そして、「十七八より」となる。十七歳、十八歳のころの稽古である。 この時期は、いうならば「停滞期」である。 大成を得る前である。初級、中級と同じく努力をしていても、同じような結果が得られない時期である。 高度なレベルであるから、一歩を進めるにしても、初級や中級での十歩分や、二十歩分もの力を要するのである。 世阿弥…
トラックバック:0
コメント:0

続きを読むread more

『風姿花伝』の教え(3)気と力の融合

次いでは「十二、三より」であり、十二歳、十三歳あたりの稽古について述べられる。 すでに五六年の稽古を積んでいるときである。 武術では、小成を得た、とも言われるときである。 一通りのことは、学ぶことができ、他の人が見ても、明らかに、武術の修練をしたことが分かる段階である。 あるいは、そうした修練を誉められることもあ…
トラックバック:0
コメント:0

続きを読むread more

『風姿花伝』の教え(2)気楽に、稽古に慣れる

『風姿花伝』の第一は、「年来稽古条々」で始る。 これは、人が成長していく中で、どのように稽古をしたら良いのか、を述べている。 はじめは「七歳」のときである。この年あたりから稽古を始めるのである。 一般には、初心者、と理解して良いであろう。 世阿弥は、あまり細かなことを言わないで、あるがままで良い、と記す。 …
トラックバック:0
コメント:0

続きを読むread more

『風姿花伝』の教え(1)熱心で、素直で

先日、東京国立博物館で「人間国宝」展をみた。 人の仕事の到達点には、目を見張るものがあった。 柳宗悦は、ただ無心に手仕事を繰り返すことで、思いもよらないような「仕事」をなすことができる、と述べている。 太極拳や八卦拳の稽古とは、こうしたものなのであろう。 ただ、日々、無心に拳を練る。その中でしか得られないものが、…
トラックバック:0
コメント:0

続きを読むread more

『名碗を観る』

茶道では、名碗とされる茶碗がある。 これらには、もとは生活雑器であったものも少なくない。 普段使いの器の中に、卓越した美を観る。そうした中に形成されたのが、名碗である。 真に「美」を観ることは、容易なことではない。 個人的には、陶器の美は、既に紹介しているが、古伊賀の水差「破袋」によって開かれた。 昨年は、…
トラックバック:0
コメント:0

続きを読むread more