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両儀堂 煉丹修道
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両儀堂公式ブログ 2015年6月20日よりブログ名を変更しました(旧「福徳円満」)

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タイトル 日 時
古道818
太上十三経注釈(901)老子 第六十五章 〔評釈〕 太極拳というと老荘的なイメージがあるが、思想的に近いのはむしろ『大学』『中庸』である。儒教ではこれに『論語』『孟子』が加えられて四書とされる。太極拳や八卦拳を修行する上で重要な古典をあげるとすれば『大学』『中庸』『老子』『孫子』が根本で、それに続くものとしては王陽明の『伝習録』、『陰符経』などが参考になると思われる。特に『伝習録』は静坐(瞑想)を実践する上での優れた教えが述べられている。『伝習録』で示されている瞑想のスタンスは『老子』に示さ... ...続きを見る

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2018/11/19 19:57
古道817
太上十三経注釈(900)老子 第六十五章 〔評釈〕 「玄徳は深く遠し。物と反するによって大順に至る」とは、玄徳とは奥深いものであって、一見して「反」対に見えることの中にこそ真実がある、というのである。「大順」とは、たんなる「順」ではなく「反」を経た上での「順」である。つまり「愚」であると見えることが、実は「明(明晰)」であることを忘れてはならならないのである。このように老子のいう「反」はあくまで「大順」を得るための方法に過ぎないのであって、その意味からすれば隠逸の色彩の強い荘子などとはおおい... ...続きを見る

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2018/11/18 19:57
古道816
太上十三経注釈(899)老子 第六十五章 〔評釈〕 「この二つは、また楷式たると知れ」とは、「智ー賊」「不智ー福」の二つが一つのシステムに共にあることは定法であることを知らなければならない、ということである。楷式とは楷書と同じく基本ということである。そして「よく楷式はこれ玄徳なるを知るべし」とする。「智ー賊」「不智ー福」は玄徳を示すものでもあるというのである。玄徳とは道の実践によって徳が生じることである。つまり、「智」の中に「不智」があることを知り、「不智」の中に「智」が含まれていることを理... ...続きを見る

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2018/11/17 19:57
古道815
太上十三経注釈(898)老子 第六十五章 〔評釈 「智を以て国を治めるは、国の賊たり」とは、民衆に多くの情報を与えて自由な判断を促す環境にあって国を治めようとするようなことは、国を滅ぼす、国を簒奪するに等しい行為である、ということである。一方「智を以て国を治めざるは、国の福たり」とは、あまり情報を民衆に与えないで国を治めようとすることは、適切な統治を行うことのできる良いことである、とする。ここでは「民」から「国」へと視点が移動している。老子は個人、社会、国家が、それぞれすべて「一」つのシステ... ...続きを見る

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2018/11/16 19:57
古道814
太上十三経注釈(897)老子 第六十五章 〔評釈〕 「民の治め難きは、その智多きを以ってなり」は、民衆を統治するのが困難となるのは、民衆にあまりに多くの情報を与えた時である、ということである。これはすでに述べたことの繰り返しである。武術でもいろいろな門派を練習する人がいるが、これも多すぎると失敗をしてしまう。門派とはあくまで自己の心身を調整するための方法であるに過ぎない。そうであるから一つの門派に固執するのも良くないが、あまりに多くを練習をするのもかえって心身の調整には好ましくないのである。... ...続きを見る

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2018/11/15 19:56
古道813
太上十三経注釈(896)老子 第六十五章 〔評釈〕 「古の善く道を為すは、以て民を明らかにするに非ず。まさに以てこれを愚とせんとす」とは、いまだ「道」が失われていなかった古き時代にあっては、指導者は民衆に多くの情報を伝えることはなかった、むしろ、あまり情報を与えないようにした、というのである。現在の日本やアメリカを見れば明かなように、情報が多くなりすぎると民衆はそれぞれの情報を吟味をすることができなくなり、結局は「自分の考えに合った情報」しか受け入れなくなるのである。しかし、情報の全体量が少... ...続きを見る

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2018/11/14 19:56
古道812
太上十三経注釈(895)老子 第六十五章 〔本文〕 古の善く道を為すは、以て民を明らかにするに非ず。まさに以てこれを愚とせんとす。民の治め難きは、その智多きを以ってなり。智を以て国を治めるは、国の賊たり。智を以て国を治めざるは、国の福たり。この二つは、また楷式たると知れ。よく楷式はこれ玄徳なるを知るべし。玄徳は深く遠し。物と反するによって大順に至る。 〔道にあっては知のあることを重視することはない。知はまとまりを損するからである。そうであるから知や識を重んずることがないのである。あらゆるも... ...続きを見る

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2018/11/13 19:55
古道811
太上十三経注釈(894)老子 第六十四章 〔評釈〕 注釈では最後に「聖人の学びとは、万物自然の理を助けるためだけに使われるのであって、あえて何かをしようとするものではないのである」としている。これは老子の教えそのものであるが、太極拳であっても、その套路は自然な心身の働きを取り戻すための方途なのである。堅いものに打ち付けて拳を固めたりするのは自然のあり方ではない。老子は理想的な心身を示すものとして「嬰児」を挙げているが、殊更に力を込めて動く「嬰児」は居ないし、物を壊すような力を出す「嬰児」も居... ...続きを見る

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2018/11/12 15:40
古道810
太上十三経注釈(894)老子 第六十三章 〔評釈〕 注釈には「功夫は次第に進んで行くものであり、それが止まることはないのである。これは木が成長するのと同じである」とある。一旦、修行に入ればそれが退歩するということはないというわけである。しかし、現実には修行においても「停滞期」のあることが実感されることであろう。これを神仙道では「温養」「封固」などとする。神仙道ではある一定の境地を得たならば、それをそのままに味わうことが重要とされるわけである。何も考えないでただ套路を練ったり、瞑想をしたりする... ...続きを見る

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2018/11/11 15:39
古道809
太上十三経注釈(894)老子 第六十四章 〔評釈〕 注釈では主に修行との関係で、この章を解説している。「およそ大道を修するには、心身が安定している時に修すると行い易い」とあるが、神仙道に修行に入るには、大きな悩みや困難に遭遇した時よりも、比較的心身が安定した状態の方が好ましいとされる。太極拳などでも、すぐに攻防に使おうと考えてしまっては、適切な修行に入ることはできない。道を楽しむくらいの気持ちであることが大切なのである。それにより執着があまりない状態で居ることができるのである。そうであるから... ...続きを見る

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2018/11/10 15:39
古道808
太上十三経注釈(894)老子 第六十四章 〔評釈〕 聖人は「学ばざるを学び、衆人の過(あやま)てるを復(おぎな)う」ような存在であるとされる。つまり学ばないということを学ぶのが聖人であるというわけである。そして多くの人が誤っているところを補うのが聖人の道であるというのである。欲望にとらわれた多くの人は、あるべき自然な状態から逸脱してしまっていることが多い。そこで、それを修正して天地自然のままに戻すのが聖人の働きであるというのである。つまり「もって万物の自然を輔(たす)けあえて為さず」というこ... ...続きを見る

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2018/11/09 15:39
古道807
太上十三経注釈(894)老子 第六十四章 〔評釈〕 以下、この章のまとめに入る。「これを以て聖人は欲せざるを欲し、得難きの貨を貴しとせざる」とは、そうであるから聖人は欲望なき欲望を持つのであって、得ることも難しい程の財産を得たとしても、あるいは得られなかったとしても、それに過度に執着することはないのである。聖人の欲望とは無為自然でありたいとする欲望である。そうであるから物事が成就しても、しなくても特に気にすることはないのである。王陽明も人の根源的な働きである良知、良能を開くには欲望を離れるこ... ...続きを見る

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2018/11/08 15:38
古道806
太上十三経注釈(894)老子 第六十四章 〔評釈〕 「終わりを慎むは始まるが如ければ、則ち事に敗れることの無し」とは、終わりということを考えないで、常に始まりに立っているような気持ちであることが重要であるということである。あらゆるものは変化の中にある。そうであるからそうした中にあって常に新たな気持ちで見直しをすることが重要なのである。常に計画を修正することが求められるのである。そうすれば失敗ということは無くなってしまう。松下幸之助は「失敗と思わなければ失敗ではない」と言っていたようであるが、... ...続きを見る

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2018/11/07 15:38
古道805
太上十三経注釈(894)老子 第六十四章 〔評釈〕 「聖人は無為なる故に敗れること無し。無執なる故に失うこと無し」とは聖人は無為であるから失敗することがない、過度に執着することが無いので失うこともない、ということである。一方で「民の従事するは、常に成すを幾(こいねが)いてこれを敗る」とあるように多くの人は何時も成功しようと強く願っているので、かえって失敗をしてしまうというのである。つまり無為自然であることこそが成功の秘訣であるということなのである。その時には目的とするところが「最上の結果」と... ...続きを見る

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2018/11/06 15:38
古道804
太上十三経注釈(894)老子 第六十四章 〔評釈〕 無為自然というとあるいは虚無的なニュアンスをもって受け取られることもあるかもしれないが、本来はより円滑に物事を成すための方途であったのである。中国では「究極」「最上」を得るために、その具体的な形式を求めようとする人たちと、そうしたものを既定しないことでしか「究極」「最上」のものは得られないとする人たちが居た。孔子は周の国の礼をあるべき形として選んだ。易も周易が最も好ましいものとした。一方、老子は特定の「究極」を求めるべきではないとした。武術... ...続きを見る

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2018/11/05 15:38
古道803
太上十三経注釈(894)老子 第六十三章 〔評釈〕 「合い抱くの木も、毫末に生ず」とは人が抱える程の大きな木も、小さな芽から育ったものであること、「九層の台も、塁土に起つ」は大きな建物も土台を築くところから始まったということである。これらはまさに千里の道も一歩からで、それは「千里の行も、足下に始まる」とある通りである。「為すはこれ敗(やぶ)れ、執るはこれ失う」とは、大きな事は意図して成そうとしても、なかなか成し遂げることはできないということである。そして、老子は懸命に努力すればする程、うまく... ...続きを見る

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2018/11/04 15:37
古道802
太上十三経注釈(894)老子 第六十四章 〔評釈〕 「未発の機」をとらえる方途として、古代にあっては占いに頼る人もいた。現在でもそうした人はいるが、神仙道の教えるところでは、「未発の機」を捉えるのには、自ずからなる知覚が必要で、早すぎても事は成らないし、遅すぎれば既に具体化が始まって、これもする成就することが困難となってしまう。この微妙な「機」を捉えるのは無為自然でなければならない。また自ずからそうした「機」を捉えることのできる知覚を養っておく必要があるのである。そのひとつが太極拳である。太... ...続きを見る

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2018/11/03 15:37
古道801
太上十三経注釈(894)老子 第六十四章 〔評釈〕 「その安きは持ち易く」とは安定しているものは保持しやすいということである。「そのいまだ兆さざるは謀り易し」は、いまだ具体化していない時点であれば計画も思い通りに立てることができるということである。「その脆きは破れ易く」は脆いのは壊れやすいのであり、「その微(こま)かなるは散り易し」は細かなものは集めるのが難しいということである。ここで老子が教えようとしているのは「これいまだ有らざるに為し、いまだ乱れざるに治む」である。まだ物事が生じていない... ...続きを見る

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2018/11/02 15:37
古道800
太上十三経注釈(894)老子 第六十四章 〔本文〕 その安きは持ち易く、そのいまだ兆さざるは謀り易し。その脆きは破れ易く、その微(こま)かなるは散り易し。これいまだ有らざるに為し、いまだ乱れざるに治む。合い抱くの木も、毫末に生ず。九層の台も、塁土に起つ。千里の行も、足下に始まる。為すはこれ敗(やぶ)れ、執るはこれ失う。聖人は無為なる故に敗れること無し。無執なる故に失うこと無し。民の従事するは、常に成すを幾(こいねが)いてこれを敗る。終わりを慎むは始まるが如ければ、則ち事に敗れることの無し。こ... ...続きを見る

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2018/11/01 15:37
両儀老人百物語 第三十一話
天の鳥船と魂振り 植芝盛平は川面凡児の禊法から天の鳥船と魂振りを合気道に取り入れた。現在はその意義は見失われているようであるが、これは中国武術からみれば柔らかな身法の奥義を植芝盛平はそこに見ていたのではないかと思われるのである。もちろん川面の行法とはまったく違った武術的な文脈の中で、こうした身体運動が捉えなおされているわけである。簡単にいうならば天の鳥船(船漕ぎ運動)はスワイ手であり、魂振りは震身として見ることができる。つまり最も重要な基本と、勁を発する奥義がそのまま運動として示されているわけ... ...続きを見る

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2018/10/31 11:04

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