テーマ:国学小言

ふくやま書道美術館「菅茶山」展

菅茶山は、江戸時代の儒学者で、福山の出身である。 福山には、ほかに菅茶山記念館なるものもある。 今回は、茶山の「書」の展覧会である。 能書というのではないが、文人の「書」としての独特の味わいがある。 そのほとんどは、自作の漢詩を書いている。 わたしが、菅茶山を知ったのは、日本随筆大成に収めれている『筆のすさ…
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渓嵐拾葉集を読む(13)「祖師・求道上人、山王勧請のこと」

これは求道上人が、直接に語ったことである。 この上人は、比叡山で十二年の籠山行をしていた、という。十二年の籠山行は、現在でも浄土院でなされている。 この行は、浄土院から一歩も外に出ないで、ひたすら掃除をして、最澄に食事を供するのである。 渓嵐拾葉集では、籠山をおえた求道上人は、日々、山王神社に参拝をして、山王権現を、自…
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金沢文庫「瀬戸神社」展

瀬戸神社と聞いて、すぐに分かる人は、ほとんどいないのではなかろうか。 瀬戸神社は、金沢八景駅の近くにあるどちらかといえば、小さな神社である。 しかし、この神社には、神像を始めとして、重要な古文書も、多く伝えられている。それは、昔からの社家(現在の宮司の佐野家など)が、いまに至るまで、神社祭祀に奉仕をしていることとおおいに関係…
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渓嵐拾葉集を読む(12)「天人影向供物のこと」(下)

さて、それでは具体的に『渓嵐拾葉集』には、天部の神が現れたときに、これをどのように供養せよ、と記されているのであろうか。 先ず、それは六位の蔵人に当たらせよ、とある。六位の蔵人とは、天皇の身の回りの雑事をしていた者である。 この六位の蔵人に、天皇が着するような装束を着させる。 そして、瓔珞嚢の中にざくろを入れて、これを…
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渓嵐拾葉集を読む(11)「天人影向供物のこと」(上)

これは、後嵯峨法王のときに公卿達が、相談していたことであるとされる。 後嵯峨天皇(1220年~1272年)は、1246年に位を退くので、これが物語られたのは、それより後のことである。 天人影向(ようごう)とは、天人が現れることであるが、ここでは天部の祭祀について語っているようである。 天部とは、仏教で、インドの土着神の…
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渓嵐拾葉集を読む(10)「伊勢大神宮の本地を云わざるのこと」

今回は、伊勢神宮の本地が、語られないことについて述べられている。 本地とは、「本当の姿」ということで、日本の神々は、本当は仏であり、神の姿は仮のものであるとするのである。 渓嵐拾葉集では、大神宮の本地は、「日の神」であるとしつつも、外国からの攻撃に対抗するためには、如意輪観音の法が、修されることを以て、大神宮の神の本地を、如…
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渓嵐拾葉集を読む(9)「璽箱のこと」

後二条天皇が亡くなって、三種の神器を、新天皇となった花園天皇のもとに届けるときのことである。 玉を入れた箱が、重くて、これを動かしたものの何の音もしなかった、とある。 そして「世に不吉なることがあれば、この箱は、軽くなって、カハカハと音をたてる」というのが、この「璽箱のこと」の「物語」である。 「物語」には、正式に伝え…
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東京国立博物館「国宝 大神社展」

伊勢神宮の式年遷宮が、行われるのに際して開かれた展示会である、という。 我々の祖先は、優れた日常品を献じることで、神祭りが果たされる、と考えたのであった。そうであるから神宝は、仏具・法具のような特別なものではない。 そうであるから神宝からは、古代日本の生活文化の最高峰をうかがうことができるのである。 今回、特に見られる…
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渓嵐拾葉集を読む(7)「日域を神国を号するのこと」

「なぜ、日本は神国といわれるのか」という問いである。 これは、悲華経に「大明神が現れて、広く衆生を度する」とあることを根拠とする。 この「大明神」を、日本の神々と考えるのである。「明神」とは、神をさす語であるから、(日本の)神々が現れて、広く人びとを救うことが、悲華経にあると、読むのである。 そして、これは天竺は仏の生…
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渓嵐拾葉集を読む(6)「神宮、僧侶詣でざるのこと」

ここでは、伊勢神宮に、僧侶が参拝してはいけない理由が説かれている。 それは、天照大神が、阿修羅王と約束したからである、という。 阿修羅王といえば、興福寺の阿修羅像が、先年、話題になったが、なぜ天照大神と阿修羅王が、約束をすることになったのか。 それは、阿修羅王が、天照大神と同じ、太陽神であるからであろう。 同じ太…
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渓嵐拾葉集を読む(5)「三種神宝のこと」

三種神宝とは、三種の神器のことである。 大日本国(だいにほんこく)を、「大日(だいにち)の本国」とする考えからは、日本列島は「独鈷」の形とする見方が生まれた。 独鈷は、三種の神宝でいえば、剣となる。 ちなみに玉は、蘇悉地で、剣は金剛界、鏡は胎蔵界となる。そして玉を大日如来の応身、剣を報身、鏡を法身とする。 この中…
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渓嵐拾葉集を読む(4)「真言院に伝わる教え」(下)

即位灌頂を伝える法性寺の真言院には、伊勢神宮に関する不思議な教えが伝えられていた。 今回紹介しているこの項には、「野羅子(のらご)」についての情報もある。 野羅子とは、十歳にも満たない男の子や女の子が、数えきれないくらい集まって、「夫婦和合の様子」を行うという「遊び」であったらしい。 こうしたことが、自然に起こるのも、…
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渓嵐拾葉集を読む(3)「真言院に伝わる教え」(上)

ここでは、いまの東福寺のあたりにあった法性寺の真言院に伝わる神道に関する秘密の教えについて記録している。 真言院では、天皇の即位に際して行われる灌頂についての教えが代々、伝わっていたところであるという。そうであるから、神道に関する秘事も伝わっている、というわけである。 伊勢神宮の外宮は、八葉の形であるから、これは胎蔵界の象徴…
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渓嵐拾葉集を読む(2)「わが国を大日本国と称するわけ」(下)

日本神話では、イザナギ、イザナミが、天の浮橋(あめのうきはし)の上に立って、天の逆鉾(あめのさかほこ)を海中に入れてかき回し、それを引き上げた先から滴り落ちた潮が固まってオノコロ島になった、とある。 しかし、本当は天の浮橋に立っていたのは、大日如来であった、と『渓嵐拾葉集』では、されている。 また、これは「密談」において語ら…
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渓嵐拾葉集を読む(1)「わが国を大日本国と称するわけ」(上)

『渓嵐拾葉集(けいらんじゅうようしゅう)』は、天台宗の僧侶である光宗(こうじゅう)が、14世紀に編纂した秘伝、口伝の記録集である。 国学の文献として読んだときに、特に興味深いのは、『渓嵐拾葉集』には、仏教内で語られた神道に関する情報が多く含まれている点である。 国学が、日本学と違うのは、先ず第一に「日本は優れた国である」とい…
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くにつまなびのさざれごと「武と歩法」

かつては、手鑑という美しくかかれた古筆の「実物」の一部を集めた冊子があった。 現代は、写真、印刷の技術も発達しているので、こうした「実物」の断片を集める必要はなくなった。 手鑑は、大体、大聖武といわれて聖武天皇の書いたものから始まる。手鑑それぞれに大聖武を収録できるほど、聖武天皇の書が、残っていたとは思えない。 それは…
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くにつまなびのさざれごと「土偶とかかし」

ミホミュージアムでは、土偶の展示会が開かれている。 今回は、特に芸術的な価値の高いものが、集められていて、じつに見応えのある展示となっている。 土偶について、大きな疑問とされるのが、その体の一部が、壊されて、しかも周到に捨てられていることである。 たとえば胴体と、手が数十メートル離れたところにあったりもする。 こ…
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