テーマ:金華秘訣

刃を研ぐ(服食登真章第十二 その4)

「真妙を秘して行い、心箋を漏らすことなかれ」 真妙とは、真実の妙訣のことである。 心箋とは、心髄たる教え、ということである。ちなみに「箋」には、注釈の意味がある。具体的には、葛玄の注釈で述べられている教え、ということになろう。 これは、7つの習慣では、第7の習慣である「刃を研ぐ」になろうか。 「刃を研ぐ」とは、個…
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梵気合体する(服食登真章第十二 その3)

「梵気合体して、天と年を長(とこ)しえにす」 梵気は、先に見ていた「度人経」にもあった語である。 ここでは、「梵」は先天の気、「気」は後天の気のことである。 先天、後天の気が、ひとつとなって。天地と同じく生きながらえることができる、ということである。 これは、7つの習慣では、第6の習慣、「シナジーを創り出す」とな…
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主体的である(服食登真章第十二 その2)

「形を飛(こ)え、宅を抜けば、隠顕干(おか)すことなし」 「形」とは肉体のことであり、「宅」とは家のことである。 ここでは、自分を守る小さな物的存在(肉体)と、やや大きな物的存在(家)が、ならべられている。 要は物的な束縛から逃れることができたならば、ということである。 隠顕は、陰陽といっても良いであろう。 …
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『7つの習慣』(服食登真章第十二 その1)

「刀圭、口に入らば、人化して仙となる」 「刀圭」とは、薬匙のことで、ここでは丹薬のことをいっている。 仙丹を得られたならば、人は仙人となる、ということである。 先日、手帳をいろいろと見ていたら、フランクリン・プランナーなるものに目が止まった。 そして、その横には、今年の8月に新訳が出た『7つの習慣』が置いてあった…
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丹を成す(妙香並済章第十 その6)

この章では「妙香は並(なら)び済(たす)く」が、述べられている。 妙香、つまり天香を得ることで、あらゆる救済がなされる、というのである。 妙香とは、丹を得ることである。 丹を得たならば、あらゆる救済がなされるのである。 あらゆる救済がなされる、とは、万事が順調にあるべきように行われる、ということである。 余…
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正道を歩む(妙香並済章第十 その5)

「返魂は立ち起こり、白昼に昇天す」 返魂とは、死者の魂が、この世に立ち現れることである。 丹が成ったならば、死んだ者でさえも、仙人となって白日に昇天する、というのである。 葛玄は言う。 「惜しきや、世人の功の微にして、行の浅きは」 大変に惜しいことに、人びとの功徳は少なく、浅はかな行動をするばかりである、と…
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運命を変える(妙香並済章第十 その4)

「ともに、この香を聞きて、普く災ケンを釈(と)く」 天香をかいで、災もケンも、同じく「わざわい」のことである。 丹がなれば、不運からも逃れることができる。 いうならば運命を好転させる、ということである。 葛玄は、こうした丹の徳を「無量功徳」としている。 限りなく良いことがある、というのである。 少しで…
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丹の徳(妙香並済章第十 その3)

「祖玄は解脱し、後裔は蕃昌す」 これは、簡単にいうなら先祖は、穢れた死者の世界から解脱して極楽に行き、子孫は繁栄する、ということである。 自分が、丹を得たならば、先祖や子孫にまで良い影響を及ぼすことが可能となるのである。 これは、丹を得た人の行為が、徳のあるものとなっているからである。 「先祖」や「子孫」で言いた…
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調和のある生活(妙香並済章第十 その2)

「痼疾に沈みわずらうも、ともに和諧を得れば、 龍神も拱敬し、岳涜も迎え随う」 重い病にかかっていても、調和を得たならば、天の龍神も拝礼をして、山や川(涜は、大きな川のこと)も調和を保つことが可能となる、ということである。 ここで重要なのは「和諧=調和」である。 丹を得るとは、調和のとれた生活を送れるようになる、という…
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丹を得る(妙香並済章第十 その1)

「天香は鼎に満ち、霞は三台を映す」 丹がなったならば、全身(鼎)は、天香に包まれ、その気(霞)においては、上、中、下の三丹田が、活発に働くようになることを、ここでは述べている。 天香といっても、特別な匂いがあるわけではない。活発な生命力を象徴しているのである。 「これ」といって特定はできないが、明らかに感じられるエネル…
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「丹」を生きる(金鼎通玄章第十 その5)

この章は「金鼎が玄に通じる(金鼎通玄)」ことを述べている。 「鼎」は、丹薬を得るためのものであり、ここでは「身体」のことである。 身体があるからこそ、霊的な世界(玄)に通じることができるのである。 葛玄は「鼎は即ち薬たり。薬は即ち鼎たり。鼎薬は丹なり」と述べている。 つまり、身体こそが、丹であるというわけである。…
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沈身を得る(金鼎通玄章第十 その4)

「キョウ、湧泉に至(およ)べば、三界は家となる」 キョウは、「はこがまえに貴」で、箱のことである。ここでは、身体のことである。 湧泉におよぶ、というのは、気が落ちることである。 心が「静」を得れば、気は落ちる。これを沈身という。 沈身を得たときが、修行の第一歩となる。 かつては、沈身ができるまでは「学生」で…
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穢れを制する(金鼎通玄章第十 その3)

「光明カク奕として、もって雑を制す」 「カク[赤赤の似た字]奕」とは、光輝く様子である。 本来の心身の状態が、回復されれば、心のエネルギーも、体のエネルギーも、滞りなく働くようになる。 こうなれば、自ずから心身の穢れ、つまり滞りは失われてしまう。 穢れを特別なものと考えるのではなく、不正常な状態と捉える。これは太…
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呼吸を開く(金鼎通玄章第十 その2)

「鼎化して庚となる。種化して仙葩(せんは)となる」 庚(かのえ)は、五行で「金」である。これと、水と出会うことで、丹が生まれる。土(鼎)から金、水と相生の連鎖が生まれるのである。 「金」は肺で、「水」は腎である。つまり呼吸と生命力が、活性化されることが、重要なわけである。 「葩」は、花びらのことで、「仙葩」は、仙界に咲…
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外煉を行う(金鼎通玄章第十 その1)

「金丹の神室は、鉄渣より変ず」 「鉄渣」とは、鉄くずのことで、ここでは肉体をさす。 もっとも純粋で、霊的な存在である「丹」の作られる「金丹の神室」が、もっとも粗大である肉体から生じる、というのである。 仏教では、これと同じことを、泥水の中から蓮の生えることとして説いている。 葛玄は、「もし、それ鉄鼎を外煉すれば、…
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変化無窮(十月丹成章第九 その6)

ここでは「十月、丹の成る」ということが説かれている。 葛玄は「十月、嬰児、聖を成す」としている。 十月とは、子供の生まれる期間を、修行の始まりから成就の期間としているのである。実際に十ヶ月で、修行が成就するわけではない。 道の修行が、成就した状態は「妙道真身」「神恵無量」とする。 不可思議なる道と一体となり、限り…
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誠を修する(十月丹成章第九 その5)

「神、精(まこと)ならば万状するを、聖人はおのずから知る」 「万状」とは、全てが表れるということである。 神、つまり心が誠であれば、全てを知ることのできる英知が得られる、というのである。 ために、そうした英知を得た聖人は、必要なことは自ずから知ることができるようになっているのである。 人は、なんとかして先のことを…
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換骨奪胎(十月丹成章第九 その4)

「犬牙の参錯するは、馬歯となんぞことならん」 「参錯」とは、きれいに整っていない状態のことである。 犬や馬の歯は、同じく整ったものではない、と述べている。 意味するところは、歯の生え変わりである。 葛玄は、三ヶ月で、犬の歯は「参錯」となる、とする。 実際の修行でも、三ヶ月くらいが、ひとつの区切りとなる。この…
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滋味を知る(十月丹成章第九 その3)

「胡さかんにして、宝おおきく、鍾乳、珊瑚たる」 「胡」には「長寿」という意味がある。 純陽を得ることができれば、長生きをして、多くの宝を得ることができる、というのである。 これは長い年月をかけて、なった美しい鍾乳石や珊瑚のようなものである、とする。 太極拳や八卦拳も同じで、長く練ることが重要である。 十年く…
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陽気から純陽を得る(十月丹成章第九 その2)

「金砂は霧となり、母は玄珠を産む」 金砂とは、陽の気のことである。神仙道では「金烏、玉兎」の語もあるように、金は太陽すなわち陽を示し、玉は月すなわち陰をいう語となる。 陽気が「霧」となるというのは、霊的なものとなる、ということである。 「霧」は日本の神道でも、神の息とされている。そして、そこから神々が産み出される。 …
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自在を得る(十月丹成章第九 その1)

「丹、九還をなせば、胎は黄輿(おうよ)と化す」 「九」は、陽の極数であるから、九還は「極陽」「純陽」を示している。 純陽が得られれば、丹の産まれる「胎」は、黄輿となる、というのである。「黄輿」とは、天子の乗り物である。ここでは、仙人の乗り物と解してよかろう。 つまり、純陽が得られば、「胎」つまり、肉体は自在の乗り物とな…
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先天と後天・下(点化分胎章第八 その6)

孫禄堂や王向斉が考えたのは、先天の世界をベースとすることであった。 孫禄堂は、形意拳、八卦掌、太極拳に共通する「柔」「静」の動きが、先天に近いものであるとして、これらの拳の動きを変えてしまう。 一方、王向斉は、決まった動きを持たないのが、先天の世界の表現であるとして、ごく少数の動きだけを練ることを考えた。 しかし、孫禄…
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先天と後天・上(点化分胎章第八 その5)

この章は「化を点じ、胎を分つ」について論じている。 「化」が生じることで、丹(変容)の基盤となる「胎」が生じるのである。 「化」とは、後天から先天への変化である。 20世紀初頭の中国武術界では、あまりに套路に偏重する傾向に批判的である武術家が出た。 その代表が孫禄堂と王向斉である。 それまでも、増えすぎた套…
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綿綿の境地(点化分胎章第八 その4)

「行を積むこと綿綿たれば、神位に立ち登る」 これは解説するまでもなく、綿綿たる修行をすれば、神仙の境地に至ることができる、ということである。 綿綿たる修行は、太極拳そのものである。 太極拳では「綿綿不断」の教えがある。 八卦拳でも、奥義には「纏綿掌」がある。 柔らかで、途切れのない心身の働きそのものが、神仙…
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中庸を得る(点化分胎章第八 その3)

「真中の神は、類を出て、萃(あつまり)を抜く」 「真中の神」とは、金丹のことである、と葛玄は述べている。 「真中」とは、「真なる中庸」の意味がある。 「類を出て」も、「萃を抜く」も同じで、陰陽の境地から抜け出すことである。 金丹は、陰陽から成るものであるが、そのどこにも陰も陽も認めることができない。 太極拳…
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異なるもの(点化分胎章第八 その2)

「丸をろうして象をなす。造化は異による」 葛玄は「丸」を、日月とする。つまり陰陽である。 陰陽による象(シンボル)とは、太極のことである。 「造化は異による」とは、陰陽といった異なるのもが、かかわり合うことで、生成の働きが生じる、ということである。 霊体と肉体は、相異なるのもである。 宗教などの霊的な修行に…
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「房」を得る(点化分胎章第八 その1)

「器を制して房をなせば、丹はその内に生ず」 ここでいう「器」とは、身体のことである。 「房」とは、神室のことで、ここに丹が生まれる。 葛玄は「聖人は、器を制して、象をたっとぶ」と述べている。 「象」とは、一種の感覚のことである。これは神室、房と同じである。 心身をよく整えると、変容の準備が整う。ここに「房」…
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道芸解(接気生神章第七 その6)

これまで、解説してきたことを、太極拳や八卦拳の道芸の立場から考えてみる。 正しい形を練ろうと思うのであれば、気が整えられなければならない。 形と気は、別の現れをしているが、本来はひとつのものである。 また、気を煉るには、形を正しく行わなければならない。 気と形をむすびのが、「意」である。 あまりに強い欲望を…
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虚への悟り(接気生神章第七 その5)

「窓塵飛びて虚たれば、寿算は計りなし」 「窓」ととは、内と外の通じるところである。 これは神仙道では「玄関」ということもある。 日本では「玄関」というと、家の出入り口の意味になるが、中国では「玄なる関(せき)」の意味で使われる。 「玄関」は、特定の部位を指定することはできない。 実と虚の交わり、通じ合うとこ…
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心身を調える(接気生神章第七 その4)

「紫粉は霜の如くして、黄芽は室に満つ」 「紫」は、神仙道では、最高の色とされている。 「紫の粉が霜のように(降り)」とあるのは、真一の気が、滞ることなく、全身に働いている、ということである。 「黄」も、神仙道では、重視されている。 「黄芽」は、これを育てて丹薬とするものである。 真一の気が開かれれば、それが…
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