道竅談 李涵虚(88)第十章 精、気、神を養う

道竅談 李涵虚(88)第十章 精、気、神を養う
これは故意にできるものではない。「相手」に任せなけばならない。「相手」に任せることを「逆」といっているのである。精は気と化する。これは精が陰キョウ〈足へんに喬〉(会陰)にある時に逆に紫府(上丹田)に入れて、これを煉るのである。こうすれば精は化して気となる。気を神と化するには、気が陽炉(下丹田)にある時に逆に黄庭(中丹田)に入れて煉る。こうすれば気は化して神となる。
〈補注〉西派では「逆」の修行とは「相手」に任せることであるとする。これは意図的に気を巡らせるようなことはしないで、ただ上丹田や中丹田に気を置いておく(温養)だけにして自然に変化をするのを待つということである。「逆」の方法はこのように丹田を使うが、西派のように上丹田や中丹田を使うこともあれば、もっぱら下丹田だけで自然なる変容の生じるのを待つとする教えもある。精から気、そして神への変容は要は微細な感覚が育つということであるから、これは瞑想の深まりと共に自ずから得られるものではある。ただ問題は「どのようにして待つか」という点にある。「ひたすら温養をせよ」というだけではなかなか修行が続かない。そこで西派で提示されているようなある程度の達成感の得られるテクニックが考案されることになる。神仙道ではこうしたテクニックの開発と「本来あるべき修行の形」を唱えてそうしたものを否定することを繰り返してしている。