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<<   作成日時 : 2017/07/03 18:38   >>

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陳微明の太極拳論(36)
四、発勁をしようとするならば沈着でありショウ浄でなければならなず、一つの方向に力を集中させなければならない(発勁はすべからく沈着、ショウ浄たるべく、専ら一方を主とすべし)
【発勁の時には、必ず全身によけいな力の入らない「シォウ浄」でなければならない。「ショウ浄」でなければ、気を沈着させることはできない。沈着、ショウ浄であれば、自然に遠くまで勁を放つことができる。「一つの方向に力を集中させなければならない」とは、相手の動きの方向に随って、勁を放つということである。相手の勢いによって、上に向けて勁を放つときには、上を見るようにする。下に向けて放つときには、下を見るようにする。遠くにまで勁を放とうとするときには、遠くを見る、神が至れば、気も至るのであり、まったくここには力を用いる必要はないのである】

太上十三経注釈(552)老子 第三十六章
老子は「これをちぢめんと欲すれば、必ず固くこれを張れ」と教えている。何かを縮めようとするならば、先ずは伸ばさなければならない、というのである。老子の思想をベースにした神仙道は「無為自然」を説くが、修行の実際は「逆」であるという。無為自然であれば「順」の方が適当であるように思われるが、「逆」の修行であるというのである。それは神仙道の修行そのものが「逆」であるからこそ「順」である「無為自然」を知ることができるからである。修行ということは有為によらなければならない。そうしたものは、すべて「反」無為自然なのである。しかし、そのことを通じてしか本当の無為自然を知ることはできないのである。

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