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煉丹修道
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両儀堂公式ブログ 2015年6月20日よりブログ名を変更しました(旧「福徳円満」)

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タイトル 日 時
古道696
太上十三経注釈(793)老子 第五十三章 〔評釈〕 注釈では「争って邪なことをして、わけも分からないで不幸に陥ってしまうと、精は枯れて神は散じてしまう」としている。争う心と邪な心は同じである。こうした大道に外れる行為をしていると良くない状態になることは当然である。それはそうした行為が「精」を枯れさせて、「神」が散じてしまう結果になるからである。「精」が枯れるとは生命力に欠けることである。「神」が散じるとは心の平安が得られないで、落ち着かないことである。「精」や「神」の安定はただ太極拳や瞑想な... ...続きを見る

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2018/06/22 17:31
古道695
太上十三経注釈(793)老子 第五十三章 〔評釈〕 もとより大道を体現している老子が実践していることとは「ただ『畏(つつしみ)』」なのである。そして「『施す』のはつまりはそのままであって、特別なことをしないことである」とある。ただ「畏」だけを行うのみで、余計なことはしないわけである。これが老子の思いついた大道の実践の解説であったわけである。そして、ここでは具体的な神仙道の修行にも触れて「よけいなことを『施す』と自分の真精が多く損なわれる」と注意を促している。まさにその通りで、どのように優れた... ...続きを見る

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2018/06/21 17:31
古道694
太上十三経注釈(793)老子 第五十三章 〔評釈〕 「介然」について注釈では「老子の性体は円明であり、自身をして自然と円明となっている 」ことをいうものとしている。「介然」には状態や様子という意味もある。老子はその資質によって大道が如何なるものであるのかのインスピレーションを得たというわけである。そして老子の資質としては「円明」であるとしている。「円明」は仏教で悟りの境地を示す語である。欠けることのない空の智慧のあることである。老子は空の智慧とは同じではないが、ここでは悟りの境地にあるとい... ...続きを見る

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2018/06/20 17:30
古道693
太上十三経注釈(793)老子 第五十三章 〔評釈〕 次に示されているのは大道の実践に反する行為である。「田は甚だ蕪(あ)れ、倉は甚だ虚(むなし)かるも、文綵を服し、利剣を帯し、飲食に厭(あ)いて、財貨に余り有る」とは田畑は荒れていて、倉にも食料の蓄えがないにも関わらず、(朝廷の高位高官は)美しいデザインの服を着て、すばらしい剣を腰に帯びている。加えて飽食を極めて、財産も余りある程に持っている、というのである。人々は貧しい生活をしているのに、朝廷の高位高官が利権を貪っている。この構造は基本的に... ...続きを見る

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2018/06/19 17:30
古道692
太上十三経注釈(793)老子 第五十三章 〔評釈〕 「しかして民は径(ゆ)くを好み、朝は甚だ除く」は、民衆は大道の実践を好むが、朝廷は極めて大道の実践をしないように疎外する、というのである。大道の観点からすれば、そもそも朝廷などは必要のないものである。こうした無駄な機関はそれ自体が無駄を生み出し、正しい道の実践を妨げるのである。老子の基本的な考え方は余計なことはしない、ということである。例えば死後の世界があるかどうか、それを明確に知る人はいない。有るか無いかは分からない。そうであるなら無いと... ...続きを見る

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2018/06/18 17:30
古道691
太上十三経注釈(793)老子 第五十三章 〔評釈〕 老子は「大道は甚だ夷(おだやか)たり」とする。大道は大変に「夷」であるというのである。これを太極拳などでは「静」として表現している。「静」はおだやかで争うことがない状態である。大道が、争うことがないものであることは本章でも後に出てくる。こうした特徴は太和などと太極拳ではいわれる。武芸ではなく、道芸とされる武術(太極拳や形意拳、八卦拳など)では、先ずこの「静」を得ることを第一とする。トウ功という動かないで練る稽古はそうしたものを養うために行う... ...続きを見る

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2018/06/17 17:30
古道690
太上十三経注釈(793)老子 第五十三章 〔評釈〕 老子が受けたインスピレーションは「大道に行うは、ただ施すにこれ畏(つつしみ)たり」というものであった。大道を実践するということは、つまりは実践するということであり、何を実践すること言うならば、それはつまり「施す」ということなのである。具体的には「畏」であるというわけである。つまり大道の実践とは「畏」にあるということである。一方、この部分は通常は「大道を行なわしむれば、ただ施(ななめ)ならんことを畏(おそ)る」と読ませている。大道が実践される... ...続きを見る

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2018/06/16 17:29
古道689
太上十三経注釈(794)老子 第五十三章 〔評釈〕 冒頭の「我をして介然として知らしむることあり」とは、インスピレーションを得たということである。「介然」とは微細なことを気にする、という意味である。感覚が微細になってインスピレーションを得たということであろう。こうした感覚は瞑想をしているとよくあるものである。老子は述べていることからして明らかなように、後に坐忘とされるような瞑想をしていたようである。そうした中で「道」を説明する良い言い方に気づいたということである。「介然」とあるのは、あくまで... ...続きを見る

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2018/06/15 17:29
古道688
太上十三経注釈(793)老子 第五十三章 〔本文〕 第五十三章 我をして介然として知らしむることあり。大道に行うは、ただ施すにこれ畏(つつしみ)たり、と。大道は甚だ夷(おだやか)たり。しかして民は径(ゆ)くを好み、朝は甚だ除く。田は甚だ蕪(あ)れ、倉は甚だ虚(むなし)かるも、文綵を服し、利剣を帯し、飲食に厭(あ)いて、財貨に余り有る。これを「盗竿」と謂う。道に非ざるならんや。 〔「我」とは自分の家のことである。老子が自分のことを言っているのである。「介然」とは特別な傾向のことである。老子... ...続きを見る

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2018/06/14 17:23
古道687
太上十三経注釈(792)老子 第五十二章 〔評釈〕 「長生久視を修すれば『襲常』はその『真常』を守ることとなる」とあるが、長生久視を修するとは神仙道の行をすることで、また心身のバランスを採るように努めることである。ここに「真常」が得られるとするのである。「真常」とは永遠の「常」で「道」と同じことである。およそ修行は「常」から始まり「変」へと至って、再び「常」へと戻って来るものである。言うまでもないことであるが、始めの「常」と最後の「常」では内実に大きな違いがある。ただ、本当の奥義は「単純、簡... ...続きを見る

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2018/06/13 13:22
古道686
太上十三経注釈(791)老子 第五十二章 〔評釈〕 老子は「その光を用い、またその明に復帰すれば」と教えている。注釈ではこの「光」は「神」であり「金光」のことであるとする。また「明」は「気」であり「金精」であるとする。つまり、 光ー神ー金光 明ー気ー金精 である。そして金精は金光の中にあるものとされる。金精が開かれることで「明」は開かれるのである。つまり「気」を整えることで「明」は得られるということである。心身を整えることで、明智も得られるのである。こうして「道」への認識、無為自然への... ...続きを見る

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2018/06/12 13:21
古道685
太上十三経注釈(790)老子 第五十二章 〔評釈〕 有為の昏迷の中から無為へと入るには「小さいことに注意をしなければならない」ということである。外的なことをいくら整えようとしても、昏迷にある内はなかなかできない。つまり外的なことではなく、先ずは内的なことを整えるのである。そうすると自ずから道は開けてくるものである。「『小』とは『明』のことである」とあるのは、まさにそうしたことで、小さなところまで感覚を及ぼすことで「明智」のようなものが得られるのである。これはかつては、どの分野の修行でも第一に... ...続きを見る

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2018/06/11 13:20
古道684
太上十三経注釈(789)老子 第五十二章 〔評釈〕 「道家では常に『今やるべきこと』を言っている」とは無為自然であれば自ずから「今」やるべきことが見えて来る、ということである。無為自然でいる人はけっして動かないでいることはない。行うべきことを、十全に行うのである。もし有為をして行動をしたならば、心身の乱れを招くことになる。社会的に「良い」とされる職業についても幸福感が得られない人はこうした有為の世界にいる人であろう。有為をもって行動をしていると身心のバランスが崩れてしまう。そうなるとますます... ...続きを見る

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2018/06/10 13:19
古道683
太上十三経注釈(788)老子 第五十二章 〔評釈〕 『周易参同契』に「その間をよく固め塞いで、きわめて堅固であるようにする」とあることが紹介されている。「その間」とは外丹と内丹の「間」である。外丹と内丹をよく一つにするには「静」を守る必要がある。心身のバランスをよく保つということである。それには静かに内省をする時間が必要である。この「温養」と一年の季節の巡りが同じであるとする。つまり春には夏の気が含まれているし、夏には秋の気が、秋には冬の気がその一部を既に有していると考えるのである。 こう... ...続きを見る

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2018/06/09 13:18
古道682
太上十三経注釈(787)老子 第五十二章 〔評釈〕 次には「兌の門は閉められなければならない」について述べられる。「兌」とは「穴」のことである。ここでは「自分の価値観」といった位に理解して良かろう。一個の完結した小宇宙としての自分が確立されるのである。これは神仙道では「一を抱いて離れることがない」というようにも言われている。無為自然に生きるということである。「文と武の二つによって温養をする」とは適度な運動と瞑想によって養生をする、ということである。この二つを同時に行えるものとして太極拳がある... ...続きを見る

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2018/06/08 13:17
古道681
太上十三経注釈(786)老子 第五十二章 〔評釈〕 「よく功を加減するには抽添が用いられなければならない」も内丹を練る上で欠くことのできない秘訣である。「抽」は練功の量を少なくすることであり、「添」は多くすることである。練功の時間は多すぎてもうまく丹は得られないし、少なくても充分に熟することがない。適切に功を練ると「これが気となって形を持つのである。そして気は化して神となり、形も神も共に妙を見せるようになる」のである。内丹が改めて外丹となって現れるということである。心に「静」を得ることで、こ... ...続きを見る

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2018/06/07 13:17
古道680
太上十三経注釈(785)老子 第五十二章 〔評釈〕 「内丹を養おうとするならば、天然の真火がなければならない」とあるのも重要である。これは無為自然の「火」のことを言っている。無為自然では「火」は起こらないと思われるかもしれないが、適切に修練を重ねれば充分に「火」は生じる。これは「天然の真火」とあるように本来、生ずるべき「火」であるからである。この「火」は「綿綿と土釜の中に燃えている」とする。「土釜」とは体内のことである。また「また外炉の陰陽符火をも借りなければならない」とあるが、これは外丹の... ...続きを見る

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2018/06/06 13:16
古道679
太上十三経注釈(784)老子 第五十二章 〔評釈〕 陽鉛と陰コウについて「始め母が子を恋い慕うように交わりを求めて」とある。すでに見たように陽鉛が「母」で、陰コウが「子」である。陽鉛と陰コウが交わるには陽が動かなければならない。ために「母が子を恋い慕うように交わりを求めて」となるのである。陽鉛が動くことで、陰コウも動くので「その後は子が母を恋い慕うようにする」となるわけである。 太極拳では功が深まると次第にゆっくりとした動きになる。これは「その後は子が母を恋い慕うよう」にの段階である。「母... ...続きを見る

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2018/06/05 13:15
古道678
太上十三経注釈(783)老子 第五十二章 〔評釈〕 陽鉛と陰コウが交わりを持ったならば、「守城沐浴をしなければならない」とされる。これは静を更に篤くするということである。「守城」「沐浴」はともに無為自然であるということである。そうであるから特に「この時に更に武火を加えてはならない」とするのである。太極拳でも、特に数年の修行を経たあたりでは、他のものを加えるのに充分な注意が必要である。これは小成の時期である。この時にうまく基礎を作ることができないと大成に至る道が難しくなる。 ...続きを見る

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2018/06/04 13:14
古道677
太上十三経注釈(782)老子 第五十二章 〔評釈〕 「坎宮の鉛は沈んでおり、立ち上がることがない」とある。これは実質的には大きな問題である。それを解決する秘訣としては「武火で激しくそれを煮て蒸発させるようにしなければならない」とある。これはかなり重要なことである。「武火」とは体を動かすことで熱の生ずることをいうものである。体を動かして呼吸が深くなることで、心身の「火」が大きく活性化する。太極拳などでは腰の高さとスピードでこれを調整する。腰を低く(低架)して、極めてゆっくり動くと「火」が大きく... ...続きを見る

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2018/06/03 13:14

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