煉丹修道

アクセスカウンタ

zoom RSS 古道341

<<   作成日時 : 2017/07/02 18:38   >>

トラックバック 0 / コメント 0

陳微明の太極拳論(35)
三、意や気はともに滞りなく動けなければならない。それは円活に動くことの妙を得ることであり、つまりは「虚実を変転させる」ということなのである(意気はすべからく換わりて霊を得べし。よって円活の妙ある。いわゆる「虚実を変転す」なり)
【相手に粘を使う時には、その変化の機に応じて、こちらの意も変化をしなければならない。これはつまりは虚実の変化を明らかに行うということである。そうすると自然に円活の妙というものも出てくるのである】

太上十三経注釈(551)老子 第三十六章 本文

これをちぢめんと欲すれば、必ず固くこれを張れ。まさにこれを弱めんとすれば、必ず固くこれを強くせよ。まさにこれを廃せんと欲すれば、必ず固くこれを興せよ。まさにこれを奪わんと欲すれば、必ず固くこれを与へよ。これを微明という。柔は剛に勝つ。弱は強に勝つ。魚は淵を脱するべからず。国の利器はもって人に示すべからず。
〔「固く」とは「先に」ということである。「ちぢめん」とは「すくめる」ことであり、これは「あたえる」ということでもある。縮めようとするならば、先ずは広げなければならない。散じようとするならば先ずは与えなければならない。弱くなろうとするならば、先ずは強くなければならない。進めば、また退くことになる。廃そうとするならば、先ずは興さなければならない。栄えれば、また落ちぶれることもある。奪おうとするなら、先ずは与えておかなければならない。往けばまた返ってくることになる。往くのは来るから往けるのであり、来るのは往くから来られるのである。この理は微妙であるが明かなことである。そうであるから「微明」というのである。
柔弱は剛強に勝つことができる。柔弱は戦うことなくして、剛強を屈服させることができるのである。魚が淵を離れることができないことが分かれば、道がこの身を離れることのできないものであることも分かるであろう。才能(器)といったものは他人に誇るべきものではない。道のことを体得している人は自己の才能は自分の中だけに止めているものである〕

テーマ

注目テーマ 一覧


月別リンク

古道341 煉丹修道/BIGLOBEウェブリブログ
文字サイズ:       閉じる