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<<   作成日時 : 2017/07/10 18:15   >>

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陳微明の太極拳論(43)
十一、曲がっている中に真直ぐな部分を求める。勁は蓄えた後に発する(曲中に直を求め、蓄えた後に発す)
【曲とは相手の勁を化するということである。勁がすでに発せられたならば、相手の体に向かって一直線に発せられるのである】

太上十三経注釈(559)老子 第三十六章
老子は「魚は淵を脱するべからず」と教える。つまり、本来あるべきところより別のところに何か優れた特別なものを求めても、それを得ることはできない、というのである。これが「あるがまま」ということであり、「無為自然」ということでもある。なにが「無為自然」であるのか、それを知るには回光返照を行うよりほかにない。回光返照とは自己の内面を見つめるということである。つまり「淵」は自分自身であり、そこに止まることで、本当の深みを知ることができる、という老子の瞑想の方法を述べたものなのである。第八章には、心を「淵」と例えている。深い淵の底は黒々としている。これが「道」のイメージである「玄(くろ)」とも通じて来るのである。

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