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タイトル 日 時
古道339
陳微明の太極拳論(33) 十三勢行功心解 一、心で気を動かす場合には、沈着でなければならない。沈着であれば気は骨の中に沁みとおることになる。気を全身に運ぶ場合には、本来の動きに違うようではいけない。本来の動きのままであれば、つまりは心のままに気は動くのである(心をもって気をめぐらせるは、務めて沈着たるべし。よって、よく収斂して骨に入るなり。気をもって身に運ぶは、務めて順遂せしむべし。よって、よく従心に便利たり) 【「心で気を動かす」とは、つまりは「意は気の到るところに行くものである」という... ...続きを見る

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2017/06/30 18:37
古道338
陳微明の太極拳論(32) 十九、ここに示したことはそれぞれ重要なことである。一字も余分なことはない。よく智慧がなければ、これを悟ることはできないであろう。先師はこうしたことを軽々に伝えることはなかった。適切な人でなければ、おそらくは正しくこれを練ることはできないであろうからである(この論、句句切要たり。ならびに一字も敷衍陪シンすることなし。つとに慧あらざるは、悟るあたわざるなり。先師妄伝するを肯ぜず。独り人を選ぶにあらざれば、また恐らくは工夫を枉費せんのみ) 【太極拳の精緻奥妙は、すべてこの... ...続きを見る

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2017/06/29 21:25
古道337
陳微明の太極拳論(31) 十八、こうしたことを、少しの差ではあるが、誤りははなはだ大きい、というのである。学ぶ者はこうしたことを精しく知らなければならない(これを差の毫里なるも、謬りもって千里とす、という。学ぶ者、詳らかに弁ぜざるべからず) 【太極拳は、相手と粘をして動くのである。つまり密接に粘がなされていれば、相手の動きに応じることができるわけである。これが「少しの差」もないという状態である。しかし、少しでも粘から離れることがあれば、相手をコントロールする機会を失ってしまうことになるのであ... ...続きを見る

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2017/06/28 21:25
古道336
陳微明の太極拳論(30) 十七、もっとも重要なことは「自分を捨てて相手に従う」ことであるが、多くの人は自分にこれを求めることなく、どこか遠いところに求めようとする(本これ己を捨てて人に従うなるも、多くは誤りて近きを捨てて、遠くに求める) 【太極拳は、自分で動くということはない。どのような場合であっても、相手の動きによって動くのである。相手が動けば、必ず一定の方向性が出てくるものである。こちらはそれに従って動くのであって、少しも抵抗することがないのである。こうなると相手は体勢を崩されてしまった... ...続きを見る

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2017/06/27 21:24
古道335
陳微明の太極拳論(29) 十六、トウ勁の後に、さらに練習を重ねれば、さらに精通することとなる。ただ黙々と練習をすると、次第に心のままに動くことができるようになる(トウ勁の後、愈々練れば、愈々精し。黙識タン摩すれば、ようやく心の欲するところに従うに至る) 【勁の働きが体得できた(トウ勁)後に、はじめて太極拳の門に入れたということができるようになるのである。こうなると途切れることなく、必ず日々練習をしなければならない。何時何処も練習をしていれば、悟るところがあろう。相手の心を読む(黙識)ことも可... ...続きを見る

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2017/06/26 21:24
古道334
陳微明の太極拳論(28) 十五、もし、双重を避けようとするならば、陰陽をよく知らなければならない。粘であれば走をすることができる。走ができれば、つまり粘となっている。陰は陽を離れることなく、陽は陰を離れることはない。陰陽がともに関係し合う。これで勁の動きを悟る(トウ勁)ことができるのである(もし、この病を逃れんと欲せば、すべからく陰陽を知るべし。粘なればすなわちこれ走り、走ればすなわちこれ粘たり。陰は陽を離れず。陽は陰を離れざる。陰陽相済して、まさにトウ勁をなす) 【もし、双重の病を避けよう... ...続きを見る

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2017/06/25 21:23
古道333
陳微明の太極拳論(27) &nbsp;十四、何年も純粋な功を積んでいるのに、相手の力を化すことができず、相手に制せられるのは、双重の病について、よく分かっていないからである(数年の純功を見るといえども、運化する能わず、自らしたがいて人のために制せられるは、双重の病をいまだ悟らざるのみなり) 【数年にわたって純功を積んだとしても、まだ双重の病があれば、時に相手に制せられることを免れることはできないし、その力を化すことも不可能である】 ...続きを見る

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2017/06/24 21:23
古道332
陳微明の太極拳論(26) 十三、相対した一方の体が沈んでいれば、相手の動きを離さないでいることができる。共に動けないでいれば、動きは滞ってしまう(偏り沈めば、すなわち随う。双重となれば、すなわち滞る) 【「一方が沈んでいれば、相手の動きを離さないでいることができる」「共に動けないでいれば、動きは滞ってしまう」とは、どういうことであろうか。互いに粘をして対している時、その力が同じで、交えた手で押し合って動けないでいる。これが「双重」である。「双重」とは、二人が互いに押し合うことである。この時に... ...続きを見る

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2017/06/23 21:23
古道331
陳微明の太極拳論(25) 十二、立つのは平らかにして、動くのは車輪のように動く(立つは平准の如く、活くるは車輪の如し) 【「平准」に立つとは「虚霊頂勁」となることである。動く時に「車輪」のようであるとは、腰を中心にして全身が腰の円転する動きに協調しているということである】 ...続きを見る

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2017/06/22 21:22
古道330
陳微明の太極拳論(24) 十一、四両の力で、千斤の重さを飛ばすという一句は、太極拳が、明らかに力によるものではないことを示している。年老い衰えた人が、多人数を御する場合にも、動きの速さによるのではないのである(四両、千斤を発するの句をつまびらかにするは、非力の勝るを顕かにす。ボウテツよく衆を御するの形を観るに、快なんぞよく為さん) 【太極拳の巧妙さは「四両、千斤を抜(は)っする」にある。相手が千斤〔600キロ〕の力を使っている場合にも、こちらが粘で相手をとらえることができていれば、その力を使... ...続きを見る

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2017/06/21 21:22
古道329
陳微明の太極拳論(23) 十、こうした太極拳の技に似た不十分なものを教える流派は実に多いものである。それらは勢いに違いがあるが、往々にして強そうなものが良く見えるものである。また速く動くものが良く思われたりもする。力が強ければ弱い相手を打つことができるし、速い技ができればゆっくりとした技を破ることが可能である。こうしとはもって生まれた能力によるもので、修練の結として果得られたものではない(この技は旁門はなはだ多し。勢に区別あるといえども、概して壮きは弱きを欺くにほかならず。慢は快に譲るのみ。力... ...続きを見る

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2017/06/20 21:15
古道328
陳微明の太極拳論(22) 九、少しもよけいな力を加えることなく、蠅もその動きをとらえられて身動きすることもできない。相手には、こちらの動きを知られることがなく、自分だけが相手の動きをとらえている。優れた境地に達している者が無敵であるのは、ここで述べられているようなことによるのである(一羽も加えるあたわず。蠅虫も落ちるあたわず。人、我を知らず。我、独り人を知る。英雄の向かうところ敵なし。ことごとくこれによりて及ぶなり) 【一つの羽も加えることがなく、蠅も落ちることがない、とは少しも抵抗すること... ...続きを見る

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2017/06/19 17:24
古道327
陳微明の太極拳論(21) 八、高く導こうとする時には限りなく高くなり、低く導こうとする時には限りなく低くなる。前に出ても限りがないし、退いてもそれを捕らえることはできない(これを仰げばすなわちいよいよ高く、これを俯すればいよいよ深し。これ進めばすなわちいよいよ長く、これ退けばすなわちいよいよせまる) 【相手は自分が上に導かれると、それが限りなく高いように感じる。それは天が限りなく高いようなものである。相手は自分が下に導かれると、限りなく低くまで行くように感じる。それは深い淵のそばでその深さに... ...続きを見る

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2017/06/18 17:24
古道326
陳微明の太極拳論(20) 七、相手が左に重心を置けば、こちらの左は虚となり、相手が右に重心を置けば、こちらの右の働きは相手に見えなくなる(左重ければすなわち左は虚たり、右重ければすなわち右杳たり) 【ここで述べられているのは、突然に見えなくなったり現れたりすることの解釈である。相手と粘をもって手を交えている時に、相手の重心が左のあたりにあると思ったならば、相手に接しているこちらの左側は虚に変ずることとなる。右側でもこれは同様である。「杳」とは捉えることが難しいという意味である。相手と粘をもっ... ...続きを見る

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2017/06/17 17:24
古道325
陳微明の太極拳論(19) 六、無心になることで勁は発せられる。気は丹田に沈み、偏ることもなく、突然に見えなくなったり、突然に現れたりする(虚霊は勁を頂き、気は丹田に沈み、偏らず椅(よ)らず、忽ち隠れ忽ち現る) 【套路を練るにしても、推手を練るにしても、すべては無心(虚霊)によって勁は発せられなければならないのである。気は丹田に沈んでいなければならないのである。偏ることなく、体を真直ぐに立て(立身中正)て、前後左右によらないようにする。突然に見えなくなったり、現れたりするとは虚実が自在に変化を... ...続きを見る

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2017/06/16 17:23
古道324
陳微明の太極拳論(18) 五、相手が速く動けば、こちらも速く対応する。ゆっくりであればゆっくりと対応する。どのような変化であっても、ただ一つの原理で対応することができるのである(動き急なればすなわち急に応ず。動き緩やかなればすなわち緩やかに随う。変化万端といえども、ただ性は一貫たり) 【こちらの緩急は、相手の緩急に応じて決まるのであり、あるがままに粘り途切れることがないのである。もし、両肩を柔らかく動かして、少しもよけいな力が入らないようにしなければ、適切に相手の動きに随うことはできないもの... ...続きを見る

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2017/06/15 17:23
古道323
陳微明の太極拳論(17) 四、相手が剛で、こちらが柔となるのが「走」である。相手がこちらの調子に合わせないようにしても、こちらはその動きを離すことがないのが「粘」である(人剛にして我柔これを柔と謂う。我順にして人背くこれを粘と謂う) 【相手が剛である時に、こちらも剛であれば、互いに抵抗し合うことになる。相手が剛でこちらが柔であれば、剛の動きを柔は妨げることはない。妨げることがないから相手の動きを導く「走」が可能となるのである。相手の力を導いている中で、相手がそれから逃れようとするのが「背」で... ...続きを見る

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2017/06/14 17:23
古道322
陳微明の太極拳論(16) 三、行き過ぎた動きも、足りない動きもなく、相手が屈すれば、こちらは伸びるのである(過ぎて及ばざることなく、屈するに随いてすなわち伸びる) 【これは相手と粘って接する時に、相手が動けばこちらも動くし、相手が引けばこちらは出る、相手が出ればこちらは引く、といった離れることのない働きのことを言っているのである。相手から離れることも、相手に抵抗することもないようにすることで、少しの過不足も動きに生じないようにするわけである】 ...続きを見る

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2017/06/13 17:22
古道321
陳微明の太極拳論(15) 太極拳論註 その2 一、太極は無極から生まれたもので、陰陽の母である(太極は無極に生まれ、陰陽の母なり) 【陰陽は太極から生まれたものである。太極は無極を本としている。太極拳は、それぞれの動きが虚実、陰陽でできている。そうであるから「太極」というのである】 &nbsp; 二、太極は動けば分かれ、静かであれば合わさる(これ動けばすなわち涌かれ、これ静かなればすなわち合う) 【自分の体が動いていない時には渾然とした一太極であるが、少しでも動くと、つまりは陰陽に分... ...続きを見る

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2017/06/12 17:17
古道320
陳微明の太極拳論(14) 十、長拳は長江大河のように滔々として絶えることのないものである(長拳は長江大海の如くして、滔々と絶えざるなり) 【太極拳は別に長拳ともいわれる。楊氏の伝えているのは太極拳があり、また長拳というものもある。名前は違っているが、内実は同じである。 十三勢において「ホウ、リ、セイ、按、採、レツ、肘、靠」は八卦である。「進歩、退歩、右顧、左眄、中定」は五行である。「ホウ、リ、セイ、按」はつまり「坎、離、震、兌」の正四方なのである。「採、レツ、肘、靠」はつまり「乾、坤、&#... ...続きを見る

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2017/06/11 16:15
古道319
陳微明の太極拳論(13) 全身の各部位が協調すると、各部位の区別はなくなってしまう。体の各部位の区別がなくなってひとつになってしまえば、相手に体の一部を取られて引かれても、泰山の如くに動くことはない。体の各部位の区別がなくなって、ひとつになることもあるが、それぞれの部位を分けて使う時もある。各部位をひとつにして使っても、別にして使っても協調していることに変わりはない。別に使う時には「常山の蛇」のようになるのである。つまり首を打てば尾がそれに応じて動き、尾を打てばそれに応じて首が動く。背中を打て... ...続きを見る

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2017/06/10 19:11
古道318
陳微明の太極拳論(12) 九、虚実は明らかに区別しなければならない。ひとつのところには一つの虚実がある。いろいろなところの虚実が集まって、全体としての虚実もできているのである。もし、全身の協調が完璧であれば、すこしも虚実の変転が途切れることはない(虚実はよろしく清楚に分けるべし。一処には自ずから一処の虚実あり、処処はすべてこれ一虚実たり。周身節節、貫串すれば、糸毫も間断あらしめること無かるのみ) 【套路を練る時にはよく虚実を分けなければならない。人と手を交える時にも、またよく虚実は分けられな... ...続きを見る

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2017/06/09 19:10
古道317
陳微明の太極拳論(11) 八、上に動こうと思うならば、つまりは下を意識しなければならない。たとえば、物を持ち上げようとした場合、どうしたらその力を挫くことができるであろうか。それは根を断つのである。そうすれば力が働かなくなることは明らかである(意、上に向かうを要するがごときは、すなわち下に意をよせるべし。もし、まさに物あげ起こさんとして、もってこれを挫くの力を加えんとするは、これその根、断たれるによる。すなわちこれ壊るること速やかにして疑いなし) 【ここで言われているのは、人と手を交える時の... ...続きを見る

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2017/06/08 19:09
古道316
陳微明の太極拳論(10) 七、上下でも、前後でも、左右でもそうであるが、すべて意によって動くのであり、体が先に動くのではない。上を意識すれば、下も意識することとなる。前を意識すれば、後ろを意識することになる。左を意識すれば右を意識することとなるのである(上下前後左右は皆しかり。およそこれ皆、意たりて、外面にあらず。上あれば、すなわち下あり。前あれば、すなわち後ろあり。左有れば、すなわち右あるなり) 【上に動こうと思う。下に動こうと思う。前に動こうと思う。後ろに動こうと思う。左に動こうと思う。... ...続きを見る

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2017/06/07 19:08
古道315
陳微明の太極拳論(9) 六、機を得ることなく、勢いを得ることもなければ、動きは乱れてしまうのであって、その原因は腰や下腿、大腿に求めれれるべきである(機を得ず、勢を得ざるところあるは、身すなわち散乱す。その病は必ず腰腿にこれを求むべし) 【機会をつかむことができない。勢いを得ることができない。これらは必ず腰や下腿、大腿が適切に動いていないからである。そうなると、手にはますますよけいな力が入ることとなる。そして全身の動きがますます乱れてしまうのである。そうであるから力を発することができなければ... ...続きを見る

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2017/06/06 19:11
古道314
陳微明の太極拳論(8) 五、動きの根本は足にある。その力は下腿から大腿へと伝わり、腰が中心となって、手の動きとなる。足から下腿、大腿そして腰、これらがすべて一つになって動くと、前に進んでも、後ろに退いても、機を得て動けて、力が失われることもない(その根は脚にあり、腿に発する。腰を主宰とし、手指に形す。脚よりしかして腿、しかして腰、総てすべからく完整一気たるべければ、前に向い後ろに退くに、よって機を得て、勢を得る) 【荘子は「至人の呼吸は踵で行う」と述べている。太極拳では、呼吸は深く長く、上は... ...続きを見る

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2017/06/05 19:10
古道313
陳微明の太極拳論(7) 三、気は活性化して、神は鎮められるべきである(気はよろしく鼓騰すべく、神はよろしく内斂すべし) 【気が活性化すれば動きが途切れることはない。神が鎮められれば気持ちが乱れることもない】 &nbsp; 四、こうして動作の滞りを無くして、途切れるところが無いようにするのである(凸凹するところ有らしめること無く、断続するところ有らしめること無かれ) 【動作に乱れがあれば、そこで動きが途切れたり、続いたりすることとなる。これは全ていまだ円満な動きに至っていないからである。... ...続きを見る

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2017/06/04 19:09
古道312
陳微明の太極拳論(6) 太極拳論註 一、全身が協調して動くためには、全身が軽霊でなければならない(一挙に動くは、周身ともに軽霊たるを要す)。 【後天の拙力を用いないということである。つまり全身が自然で軽やかであるということである】 &nbsp; 二、そのためには全てが一連なりでなければならない(もっともすべからく貫串たるべし) 【「貫串」とは綿綿不断ということである。貫くことがなければ途切れてしまう。途切れてしまえば、人はその虚に乗じて攻めて来る】 ...続きを見る

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2017/06/03 19:08
古道311
陳微明の太極拳論(5) 九、相連不断 外家拳での勁は、いうところの後天の拙勁である。そうであるから動きに起こりがあり、また終わりがあるのである。また連続している時もあれば、途切れる時もあるのである。それまでの力が尽きて、新しい力が生じていない時、この時に最も相手に付けこまれやすいのである。太極拳では意を用いるが、力を用いることはない。始まりから終わりまで、柔らかく途切れることがない(綿綿不断)のである。一通りの動きが終われば、また始めから動き出す。循環して尽きることがないのである。「原論」に... ...続きを見る

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2017/06/02 19:07
古道310
陳微明の太極拳論(4) 七、上下相随 「上下相随」は、つまりは「太極拳論」にある「その根は脚にあり、腿に発す。腰を主宰とし、手指に形す」とあるところのものである。脚から腿、腰へと至るその全てが途切れることのない気の流れとしてつながっている。手が動けば腰が動き、そして足が動くのである。つまり、視線もまた身体の動きに随って動くことになる。これが、つまりは「上下相随」ということである。動いている時にどこか一か所でも動かないところがあれば、それは統一を欠いてしまうことになる。 &nbsp; 八、... ...続きを見る

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2017/06/01 19:06

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煉丹修道 2017年6月のブログ記事/BIGLOBEウェブリブログ
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