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<<   作成日時 : 2017/06/27 21:24   >>

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陳微明の太極拳論(30)
十七、もっとも重要なことは「自分を捨てて相手に従う」ことであるが、多くの人は自分にこれを求めることなく、どこか遠いところに求めようとする(本これ己を捨てて人に従うなるも、多くは誤りて近きを捨てて、遠くに求める)
【太極拳は、自分で動くということはない。どのような場合であっても、相手の動きによって動くのである。相手が動けば、必ず一定の方向性が出てくるものである。こちらはそれに従って動くのであって、少しも抵抗することがないのである。こうなると相手は体勢を崩されてしまったり、飛ばされたりしてしまう。これはすべて相手があまりに強く攻撃してきたからである。もし、一定の技でそれを行おうとしても、これでは相手の変化に応じることはできない。こうしたことを「自分にこれを求めることなく、どこか遠いところに求めようとする」としているのである】


太上十三経注釈(546)老子 第三十五章

老子は大道をシンボライズして「至柔」という語を用いている。これは嬰児のときには誰でも持っているが、後に失われてしまうことがある。これに老子は注意を促している。「およそ人は大道を持って、この世に現れて、去って行くのである」との注釈があるが、「至柔」は人が亡くなるまで失われることはないのである。神仙道では、生まれた時に持っていた大道は、後天の学びによって見えなくなってしまう、と考える。後天の学びは、生きるための知識ではあるが、それが往々にして過度になってしまうことがある。そうなると大道は見失われてしまうのである。財産はより良く生きていくために必要ではあるが、それにとらわれ過ぎると、蓄財のために心身を疲弊させることにもなってしまう。そうなると本来の良く生きるためといったことの大道が見失われてしまうことになる。太極拳などを日々、修練することで常に大道とともにあることを確認することが大切となのである。

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