テーマ:毅一子

毅一子 少し足りないくらい(1-16)

儒教の経典である『書経』の「舜典」には、一に触れた後で、「中をとるのがよい」としている。 この「中」とは、上中下の中ではない。中央ということでもない。 これは「中を守る」という意味の「中」なのである。 「虚中」というときの「中」なのである。 「中」は確かに存在して、すべての存在の中核ではあるが、これを明らかにみる…
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毅一子 調和の視点(1-15)

両儀とは太極である。 太極とは、おおいなる働きであり、変化じて、聖となるものである。 変化をするのは、一を得るからである。 つまり両儀の二は、一に帰するのである。 一はどこに帰するのか。老子は「虚無」としている。仏教では「寂滅」という。 虚無も寂滅も、一を得ることができなければ、到達することはできない。 …
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毅一子 永遠なる「道」を知る(1-14)

陰陽といっても、陰陽という形が存しているわけではない。 天地は、形としての天地がある。そうであるから天地は、いつかは無くなってしまう。 しかし、形をもたない道は永遠に滅びることがない。 つまり、道を得るとは、永遠を得るということなのである。 楊澄甫の高弟の傅鐘文を紹介した文章に、「太極拳を酷愛し」とあるのを記憶し…
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毅一子 套路を捨てる(1-13)

一は、分かれて「両」儀となる。この世は、ひとつなのであるが、それが陰陽などの「両」儀に分かれているのである。 陰陽そして、その展開としての五行は、形ある世界をいうものである。 どのような物でも、形あるものは滅びる。 天地は、一つの陰陽である。易では、一陰一陽を、道としている。道とは、一陰一陽の妙なる合一、融合なのであり…
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毅一子 覚悟を持つ(1-12)

神が虚に至れば、深い静を得ることができる。空の空なる境地を得て、すべてのこだわりがなくなってしまうのである。 孔子との話の中で顔回は「身を正しくして、心を虚にする。そうして一を得るように努力します」と言っている。 また「一は重要と思いますが、二はそうとは思いません」とも述べている。 これは、一を守って生きて行くというこ…
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毅一子 柔であること(1-11)

一は、これを一という以外にないものである。 一は、上にあれば「質(もと)」となり、かたわらにあれば「誠」となる。あるいは「柔」となる。 一とは、二心がないということでもある。二や三では、徳を語ることはできい。いろいろと迷っているからである。 両儀老人、曰く、 「質」には、「もと」つまり根本という以外に、「まこと」とい…
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毅一子 調和の感覚(1-10)

丹経には「乾坤(天地)は、ひとつではないが、これがどうしてひとつになれるのか。それは一を得るからである。 天は、一を得ると清らかとなる。地は、一を得ると寧(やす)らかとなる。 神は一を得ると霊となる。人は一を得ると聖となる。 そうであるから、一を得れば、すべてのものが完成をするのである」とある。つまり、すべては、一を得…
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毅一子 専心と変容(1-9)

一とは至善なるものである。 至善とは、ほかに比べることのできない唯一無二の善なるものである。 至善の境地とは、『道徳経』にいうところの「竅(あな)」である。 丹経には「竅は特別なものであり、乾坤がひとつになったものである」とある。 両儀老人、曰く、 一とは、至善なるものであり、それは乾坤(天地)が、一体とな…
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毅一子 エネルギーと、性質(1-8)

天は本質的には道と同じであるから、天には命(エネルギー)だけではなく、性(性質)もあるということになる。 同様に、人も道から生まれた存在であるから、人の本質にも性だけではなく命もあるということになる。 そうであるから孟子は「性を知ることが、天を知ることである」といっているのである。 性と命は、後天の世界に入って、初めて…
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毅一子 エネルギーと、性質(1-7)

孔子は魯の哀公に「道というものを、性と命に分けていうなら、天の命と、人の性ということになります。天の命は万物においては、性となるのです」と答えている。 また子思は「天」は、道と同じとしている。 『一貫聖経』には、「天を、あえて性と命に分けていうなら、天は命であり、形態を有するものは性となる」とある。また「天の命は、人にあって…
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毅一子 「善」を練る(1-6)

諸存在の根源が、太極や元気であることを知る人は、多くないかもしれない。 元気とは陰陽が和合してひとつになった状態である。ひとつになって混沌とした状態のことを「元(はじめ)」というのである。 そうすると存在に、もともと有されている性質(性)とは元気のことであるということになる。 性質の元(はじめ=根源)は、善(むすび)で…
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毅一子 合理性と非合理性(1-5)

無極からは、太極が生まれる。太極とは「一」である。 「一」は万物の母である。万物の母は、元始の祖気である。 「一」は二を生む。そうであるから、易では、太極は両儀を生むとある。両儀とは、天地のことである。 一陰一陽が天地である。この陰陽の二気は、万物の中に含まれている。つまり、万物は陰陽の二気から生まれたのである。 …
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毅一子 イメージと実行(1-4)

道からは、天が生まれ、地が生まれ、万物が生み出された。 あらゆるものが道から生まれたのである。道にはあらゆるものが、潜在している。 道には、始まりはない。終わりもない。始めと終わりがない、ということは、道が純粋なる理論上の概念であるということである。 そうであるから道と気を同じものとすることはできない。 両儀老人…
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毅一子 「一」を持って(1-3)

道は「一」に始まり、「一」に終わる。「一」を得たならば、これを見失ってはならない。 「一」は、生活のすべてでもある。 「一」を毅(つよ)く持って離すことがなければ、おおきな事をなしとげることができるであろう。 そうであるから、本書は「一を毅(つよ)くもった優れた人」という意味の「毅一子」としているのである。「子」とは「…
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毅一子 性、理と道(1-2)

「一」とは「道」であり「理」である。 ものの「性」とは「理」のことである。また「性」とは「道」のことでもある。 つまり、「性」と「理」、それに「道」は同じことなのである。 「性」「理」「道」を違うものとするのは、まちがった教えである。正しい教えは「一」にあるのであり、区別にはない。区別をしたのでは、道とはいえない。 …
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毅一子 すべては一つ(1-1)

道とは「一」である。「一」にはじまり「一」に終わるのが、道である。一でなければ、二となる。二となれば、道とすることはできない。 天地が開けてから、太古の聖なる王たちも、ただ「一」をもって道を伝えてきたのである。孔子は一貫をいっている。老子は抱一を教えた。仏教では一如を菩提の境地としている。 古今東西の聖人、あるいは儒教でも、…
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