テーマ:中臣祓

五行史観(42)吉田神道「中臣祓抄 月舟寿桂聞書」

明神より下にあって、人々を助ける神は、八幡などの菩薩がある。春日大明神の二十一代目の子孫が藤原鎌足であった。鎌足は、春日大明神の徳を伝えた人物であった。ほかの子孫も、同じく春日大明神の徳を受け継いでいる。春日大明神の尊号は、アメノコヤネと申し上げる。尊号のほかには徳号がある。これは神の徳によって付されたものである。密教に入る時には、密号…
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「神明」の境地(41)吉田神道「中臣祓抄 月舟寿桂聞書」

神明というのは、日の神、月の神に限るのであって、他の神に付されることはない。考えられないような陰陽の変化のことを「神」というのである。神明の「明」は「日」と「月」でできている。つまり神明という書き方からわかるのは、神が日や月の上にある、ということである。神明は、神の称号の中で最高のなのである。その他の神は、日や月の下にある。そうであるか…
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罪、穢の祓(40)吉田神道「中臣祓抄 月舟寿桂聞書」

神々の世界にあっても、「祓」とはなかなか容易なことではない。ましてや穢れた世の中に生きる人においては、「祓」を知ることは実に困難なことなのである。春日明神の春日とは、仏が仮に神の姿となって現れた時の名である。明神とは、神の称号である。大体において神の称号は、八つあるとされている。神明に大神明、小神明がある。明神にも大明神、小明神がある。…
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「健康長寿」ということ(39)吉田神道「中臣祓抄 月舟寿桂聞書」

日の神(アマテラス)が、天の岩戸に籠もった時に、神々はその前で、いろいろにはやし立てて、日の神が出てくるよう促したのであった。この時に春日の神も、日の神が、出られるように言葉を発せられたが、これが祓(中臣祓)の言葉であった。日の神は、その言葉が大変に優れたものであることに、心を動かされて、天の岩戸から出てきたのである。そして、天には日の…
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「岩戸籠もり」の教え(38)吉田神道「中臣祓抄 月舟寿桂聞書」

スサノオは、日の神(アマテラス)、月の神(ツクヨミ)に暇乞(いとまご)いをしようとして、天へとおもむいたのであるが、そこで天上を奪おうとしたのであった。これは阿修羅と帝釈天の争いとされていることと同じである。日の神は、悪神であるスサノオに攻められて、天の岩戸に籠もった。この時、天下は光を失ったのである。 インドでは、阿修羅は戦いの…
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穢としての「争う心」(37)吉田神道「中臣祓抄 月舟寿桂聞書」

神代の祓については、特に記されたものはないようである。ただ春日大明神は、神代の祓を天神七代、地神五代の「十二段(十二代)」であるとしている。イザナギ、イザナミのお子様は、一女、三男である。一女は、日の神で、陽神、女神である。三男は、ツクヨミ、スサノオ、ヒルコである。スサノオは、悪神であるから、根の国へとやられた。天上はアマテラス大神に任…
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未出現の拳(36)吉田神道「中臣祓抄 月舟寿桂聞書」

『相秘訣』には「如来の結ぶ印は、五大によって成り立っているものの祓を行う。菩薩やその他の聖なる方々の持つ物は、五行や衆生を悟りへと導く働きの祓をする」とある。『相秘訣』とは、四大師の著した本である。四大師とは伝教大師、弘法大師、慈覚大師、智証大師のことである。 五大とは「地、水、火、風、空」のことで、ここでは自然、大宇宙をいってい…
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流れに乗る(35)吉田神道「中臣祓抄 月舟寿桂聞書」

水、火、風には、きまった形はない。形がなくして、徳を施すものを神というのである。水、火、風の徳がなければ、万物が生成することはありえない。天地人の三才を、我が身に納める。これがよく分かれば、天地と一体となるので、病にかかることもない。祓とは災いを招くことなく、福を呼び寄せるものでもあるのである。 「神」とは、「示」と「申」から出来…
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禹歩としての歩法(34)吉田神道「中臣祓抄 月舟寿桂聞書」

天地の間にあって、もっとも優れた存在であるのは人である。人は風によって象徴される。風はとらえどころがない。動くことが、風の徳である。人は動くことがなければ、生成をなすことはできない。内面的な根源の意識を悟って、行動を起こすところに、徳が生まれることが理解されよう。足をあげる。足をさげる。これらの行為は、風により起こされるものなのである。…
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腰間を練る(33)吉田神道「中臣祓抄 月舟寿桂聞書」

天の神は、火によって象徴されるが、地の神は、水によって象徴される。水は器がなければ、一定に保つことはできない。つまり、水とはこれを治めようとしても、治めることのできないものなのである。 「水」は、人体においては「腎・坎卦」となる。 「水」を使うには、一定の形が必要と、ここでは教えている。「むすび」の武術でいうなら套路である。…
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炉火純青の功(32)吉田神道「中臣祓抄 月舟寿桂聞書」

天の神の形は、火で象徴させることができる。火はどこから発生するのか、あるいはどのようにして消えていくのか、詳(つまび)らかにできないものである。金と石とを打ち合わせれば、火は生まれる。天地、陰陽の感応するところに火は生まれるのである。 「火」の象徴が示すのは、「むすび」である。「むすび」がなければ、「火」はおこらないと、ここでは述…
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周期を知る(31)吉田神道「中臣祓抄 月舟寿桂聞書」

一日の陽の始まりから終わりまでが、昼間の潮の働きとなる。夜は陰の始まりから終わりまでである。つまり、昼夜には、陰から陽、そして陽、それから陽から陰、そして陰という四回の変化があるのである。これは人の住む家でも、四方がなければならないのと同じである。また、四(し)を知ることは、死(し)期を知ることにもつながるのである。 八卦では、北…
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「天の呼吸と地の呼吸」 吉田神道「中臣祓抄 月舟寿桂聞書」(30)

災難は外から来る。心が正しくないから、災難が来るわけである。心のあり方が変われば、体の「筋」の働きも変わってくる。そうなるを、災難を受けることもない。一日のうちには潮の干満がある。この潮を、「運ぶ働き」が天の働きなのである。これが分かれば死期を知ることもできるようになる。運命を知ることもできるようになる。運命の「運」とは「運ぶ働き」のこ…
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吉田神道「中臣祓抄 月舟寿桂聞書」(29)祓の心

人間の体は、五大でできている。五大は五臓である。これが外に現れれば五行となる。あるいは五ウンとなる。祓とは、五行の働きを正しくするものである。如来の結ぶ印は、五大の祓である。菩薩は物を持っているが、それは持ち物による五行の祓をするからである。祓の紙垂(しで)は、四大を祓うものである。これを付けている串は、一なる心を示す。祓の心が分かれば…
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吉田神道「中臣祓抄 月舟寿桂聞書」(28)母拳と砲捶

聖徳太子は、我が国は種のようで、インドは花や実のよう、中国は枝葉のようであるとしている。花は落ちれば、根のあたりに到る。これと同じくインドで花開いた仏教は、根である日本に来たのである、と述べている。仏教も儒教も、日本神道の徳が、かの国々において示されたものなのである。日本に仏教が入ったころに物部守屋(もののべのもりや)は、「仏教も儒教も…
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吉田神道「中臣祓抄 月舟寿桂聞書」(27)日本の文化と「砲捶」

イザナギノミコトが亡くなったのは、十月とされているが、これが不思議にもちょうど極陰の月なのである。我が国を、日の国、日本というのは、外国から見てのことである。西域にあった月氏国は、月である。インドは星である。月や星は、日に及ばない。たしかに我が国は、小国であるが、本当は偉大な国なのである。あらゆるものは、始めは小さい。小国とは、ここから…
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吉田神道「中臣祓抄 月舟寿桂聞書」(26)一陽来復の「機」

祓とは、災難を祓って、本来の働きが損なわれないようにすることなのである。これが一陽来復である。剥卦(陰陰陰 陰陰陽)には、はぎ取るという意味がある。これが祓である。あらゆる悪いものが祓われて、坤卦(陰陰陰 陰陰陰)となり、尽きて、次に極陰に一陽が兆す一陽来復となるわけである。一陽来復とは、根源のエネルギーの働きを回復させることであり、本…
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吉田神道「中臣祓抄 月舟寿桂聞書」(25)得ること、捨てること

本来、神は亡くなることはないのであるが、イザナギノミコトは亡くなっている。これは滅びることのない存在が滅びたということである。十月は神の居なくなる月とされている。九月は、あらゆる存在のエネルギーが、損なわれる月で、剥卦(陰陰陰 陰陰陽)であるとされる。そして、十月になると坤卦となって陰が極まる。そして、十一月になれば一陽来復で、再び一陽…
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吉田神道「中臣祓抄 月舟寿桂聞書」(24)第六天魔王

釈迦は、一度は世俗との縁をむすんでいたが、祓によって、それから脱したのである。こうした例は中国にはあっては、伏ギや文王、周公、老子や孔子などが、いったんは世俗との縁をもったものの後にそれから脱している。日本ではヤマトヒメノミコトがいる。ヤマトヒメノミコトが七百歳まで生きていたのは、世俗との縁を断つことができたからである。 ヤマトヒ…
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吉田神道「中臣祓抄 月舟寿桂聞書」(23)完全なる循環を取りもどす

もともと、「かかわらない」神というのは、アマテラス、アメノオシホミミ、ニニギの地神三代の神をいうのであり、これらの神々の寿命が、いちばん長かった。弘法大師は、大日如来と釈迦は、本質的に「かかわらない」存在であったと述べている。ことに大日如来は、「かかわらない」どころか、元々かかわるところのない存在であった。釈迦は、いったんは、この世とか…
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吉田神道「中臣祓抄 月舟寿桂聞書」(22)根本を直す・古典を知る

頭髪の毛根につらなる「筋」を、祓い鎮めれば、あらゆる病からのがれることができる。薬は、一つの薬で一つの病を治すことができるにすぎない。しかし、釈迦は祓を行って、あらゆる病を治したのである。これは弘法大師が書かれたものにも記されている。 薬は、あくまで対処療法であって、根本的な治療にはならない、と吉田神道では考える。 心身に生…
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吉田神道「中臣祓抄 月舟寿桂聞書」(21)究極の健康と悟り

『相秘抄』には「呼吸の根源たる一霊を蘇らせて、万病を除く。これが〈はらえ〉である」とある。ここで述べられているのは、心に強い執着があれば、根源の一霊は、適切に働かなくなる。しかし、祓えをすれば、再び一霊の活動を円滑にすることがで、呼吸が正しくなるとあるのである。心が乱れれば、頭髪の毛根につながる「筋」の働きが乱れる。これを正しいものとす…
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吉田神道「中臣祓抄 月舟寿桂聞書」(20)均衡を保つ

松井小甫は私に、医者が、人が亡くなった後に、遺体を解剖してみると、髪の根を体の中に認めることができると言っていた。腹の中にも、髪から続く筋が数えられないくらいあるらしい。これは98572の毛根が、腹の中にまでいたって、900043492の眷属と一緒になって、数えられないほど多くなったのであろう。 頭髪から伸びる98572の「筋」と…
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吉田神道「中臣祓抄 月舟寿桂聞書」(19)穢を祓う稽古

人の体に生じる髪の毛は、98572ある。髪の毛には、毛根がある。毛根は中に隠れており、見ることはできないが、これがしっかりと根付いているときには、人は健康でいられる。気が乱れて、心身の状態が正しく保たれなくなると、毛根がしっかりしなくなり、頭髪が抜けていく。こうなると、いろいろな災いが生まれる。そうであるから祓をして、こうした状態から脱…
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吉田神道「中臣祓抄 月舟寿桂聞書」(18)言霊を整える

荒神は98572神いるという。また、その眷属は900043492になるという。弘法大師は、唐で、荒神の眷属のことをたずねてみたのであるが、このことは弘法大師の伝記にも詳細が記されてはいない。唐でも荒神の眷属について明らかに答えられた人はいなかったようである。しかし、日本に帰ってから神道を知る人に、本当のことを初めて教えられたということで…
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吉田神道「中臣祓抄 月舟寿桂聞書」(17)依り代となる

人体には、98572の神がいるが、これは魂魄のことである。本来はなにも無かったところに、こうした数の神々が生まれてきたわけである。これらの神々は、人が亡くなればいなくなってしまう。何故か? それは人体という依るべきところがなくなるからである。 神道において人体とは、たんなる「入れ物」であるに過ぎない。 聖なる霊を入れる入れ物…
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吉田神道「中臣祓抄 月舟寿桂聞書」(16)慎みをもつ

人の有する98573の神には、明らかにその姿の見える神もあれば、確かには見えない神もある。84000の毛穴には、それぞれ神がいる。それに人には九つの穴がある。九つの穴には、それぞれ1619の神がいる。これを合わせると5572神となる。これに先の84000を合わせると98572神となる。 この部分においても、具体的な数には、とらわれ…
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吉田神道「中臣祓抄 月舟寿桂聞書」(15)「意識」を持つ人

天地の神の数の教えは、どうかというと、天は具体的な形を見ることができないが、これは星の数として知ることができる。星は11520ある。地にも、11520の数を得ることができる。これら天地の数をあわせて八百万(やおよろず)の神というのである。八百万の神とすることもあれば、八十万の神ということもある。ただ、これらはおおよその数をいったものであ…
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吉田神道「中臣祓抄 月舟寿桂聞書」(14)今の「自分」を超える

天台宗では、人の呼吸を一日8500息としている。これは儒教や医学でいっている息の数と同じではない。どうしてか? 一般的には仏教に84000の法門があるとされているところからきているようにも思われる。人の呼吸は、通常は一日に13500息なのであるが、心の乱れやすい人が、良くないことに遭遇した時などは、呼吸が速くなるものである。もしかしたら…
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吉田神道「中臣祓抄 月舟寿桂聞書」(13)温養と周天

運命というが、運とは天の巡りのことである。命とは、天の使いである人が持っているものである。人々の運命が尽きれば、災難が起こる。健康な者は、通常は36息の呼吸をしている。これは天の一回の巡りの360度の十分の一である。イザナギ、イザナミの呼吸は6息が、ひとつの単位であり、これに吐く息、吸う息で12息が得られる。12息は、昼夜十二時と数があ…
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