道竅談 李涵虚(102)第十一章 五関を煉る

道竅談 李涵虚(102)第十一章 五関を煉る
「煉神還虚」にはさらに上の層があって道と一体となることになる。神を(上丹田である)上院に移して、何もすることなく心も働かさない。そしてそのまま太虚と一体となる。あまねく大千世界を見渡し、こうして法身は円満となり、舎利は光に満ちて、自在の境地は極まることがない。つまり子々孫々、千変万化、ここに至って時に応じて功を立てることが可能となる。つまり身は(神々である)三清に帰して、道は(歴代の仙師である)九祖を超えるのである。
〈補注〉「煉神還虚」にはさらに上の層があるとする。それは「還虚合道」である。「法身」は先の「胎嬰」が育ったものである。これを「陽神」という場合もある。「舎利」は釈迦の遺骨のことであるが、中国や日本では宝石の粒がそれに見立てられた。ここでは丹田の光のようなもの先天真陽の一気の輝きと理解してよかろう。つまり先天の陽光が後天の穢れなく照り輝いている状態をいっている。「三清」は元始天尊、霊宝天尊、道徳天尊で神々のこと、「九祖」はで要するに歴代の仙人のことであり、そうしたものを崇める「迷信」を超えて完全に道と一体となることを言っているわけである。

この記事へのコメント