古道133

神仙道と仏道(5)
釈迦の時代の仏教、それに神仙道の坐忘、これらの根本となるのは「観察」をすることであった。坐忘は静坐とも言われる。ただ静かに坐って、身体の状態、心の状態などを、何事にもとらわれないで見ている。ただそれだけなのである。身体や心、そして諸々の事象をも、ただ内的な眼で見るだけなのである。
そうして得られた集中状態の秘訣に「凝」字訣がある。殊更な集中ではなく、自ずから現れた集中状態といった感じである。そうすることで、自然と一体となった悟りを得ることができる、とするわけである。

太上十三経注釈(343)老子 第二十五章
先天については「先天とは寂清であったり、寥虚であったりする」としている。寂寥なる世界は「清」であり「虚」であるというわけである。つまり、先天とは「寂寥」「清虚」なる世界なのである。これらは、すべて先天の世界を知るためのイメージである。そして、これは全く太極拳を練る上での秘訣でもある。太極拳は先天の世界を開くことを第一としている。あらゆる後天のとらわれから離れた生成の世界を知ろうとするのが太極拳なのである。そのためには、心静かな「寂寥」でなければならないし、気血の流れの順調な「清虚」なる体でなければならない。