古道129

神仙道と仏道(1)
神仙道では、よく「仙仏合宗」が言われる。これは神仙道と仏道とが根本において同じであるとする考え方である。神仙道は本来が健康法から生まれたものである。楽しく、長生きをすることを第一の目的としている。そのためには、心も体も快適であらねばならない。そのヒントを得るための教えとして、神仙道は老子や荘子の道家の思想や仏教、儒教の教えを学ぶことに躊躇することはなかったのである。

太上十三経注釈(339)老子 第二十五章
老子は王について「四大あり。しかして、王はその一をところとす」と教えている。四大とは天と地と道、そして王である。それぞれは「大」、つまり道と一体となっている。この中にあって、王は「その一をところとす」とわざわざ説明をしている。「一」とは、全てということである。完成された全体のことを「一」というのである。統治者としての「王」も、道と一体となっていなければ王ではない。老子は、こうした人物が統治者としての「王」となることはふさわしくないと考えていた。
つまり論理上は、統治者としての「王」は、道と一体となった王でなければならないのである。そうでなければ革命が起こされて、正しい「王」が立てられなければならない。ただ、老子はそこまでは言わない。人はそれぞれに「一」を持っている。上下がるように見えるのは、一時のことに過ぎない。そうした序列は往々にして入れ替わる。社会的な地位にとらわれる必要はないと教えるのである。