古道069

太上十三経注釈(279)老子 第二十一章
下丹田を開くとは「坎精を露にする」ことでもある。坎卦は腎を象徴する。これを開くには足腰を鍛える必要がある。わたしが立って行う瞑想を提唱するのは、こうした見地によるものでもある。坎精は、坎卦(陰陽陰)の中の一陽である。これは「命」とされる。離=心の一陰である「性」、坎=腎の一陽である「精」「命」が開かれることで、性と命とをともに修する性命双修が得られるのである。

聖観音と十一面観音(続)
不動明王でも、大黒、弁天、聖天などインド古来の神である天部とされる仏でも、現世利益を願う仏が観音と習合するときのシンボルとして十一面観音が選ばれることが多かったように思われる。そこには、ダイレクトに自分の欲望を肯定するのではなく、それを慈悲や菩薩行といったオブラートに包むことも、かつての日本人は忘れなかったのかもしれない。
十一面観音で思い出されるのは、日本の神々が多くの異名を持つことである。たとえばオオクニヌシはオオナムヂ、ヤチホコなど実に多くの異名を持っている。アマテラスもオオヒルメ、オオヒルメノムチなどの異名を有する。このイメージに十一面が重なったのではなかろうか。おそらく宮中では、聖観音より、さらに強力な祈祷を行える観音として、十一面観音が祀られることがあったのではなかろか。