古道068

太上十三経注釈(278)老子 第二十一章
注釈では「精とは性の火なのである。下丹田が開くことで、この火は感じて生まれる」とある。既に見て来たように「精」は、「性」と「命」がひとつになったところで、生み出されるものである。そうであるなら「精」の根源である「性」はどうしたら開くことができるのか。注釈では下丹田を開けば良いと教えている。
注釈の初めの方で「離性」とあったが、「性」とは心の中にある一陰のことである。心は離卦によって象徴される。離卦(陽陰陽」)の中の一陰が「性」である。これを開くには下丹田(腎)を開かなければならない。心ではなく体を整えることで、むしろ「性」は開かれるのである。

聖観音と十一面観音
かつて宮中では、毎月十八日に鎮護国家と五穀豊稔を祈願する観音供が行われていた。それに関する文書である「観音供作法 内裏一巻」(金沢文庫)には、本尊である観音に聖観音と十一面観音を用いることが記されている。つまり、小野僧正の伝では聖観音を用いて修法が行われ、大理趣房舜円の伝では十一面艱難を本尊とするとしていた、というのである。
現在でも観音といえば聖観音と十一面観音が、最初に思い出される。平安後期には比叡山横川の聖観音の信仰が広がっていた。おもうに「観音供作法」が書かれた鎌倉時代あたりからは、日本における観音信仰は、聖観音と十一面観音に重きがおかれるようになってきたのではないかと思われるのである。