古道090

五大明王と五大力(4)
日本各地には清明神社がひじょうに多くある。これは安倍晴明に由来するものと説明されることもあるが、実際はそうではなく「せいめい」なる語が、天気の晴れに通じるために農業に従事する人たちの間で、天気の神様として信仰されていたのであった。同じことは熊本で近世後期あたりから広まる加藤清正信仰にも通じるものがあろう。加藤清正への信仰は「清正公」信仰とされる。これは「きよまさ」ではなく「せいしょう」と読まれる。つまり「晴清」に通じるわけである。こうした言霊の信仰からすると五大力も「ごだいりき」つまり「御大力」で、偉大な力への信仰と解することができるのではなかろうか。

太上十三経注釈(300)老子 第二十二章
注釈にある「身を治めるための要の道」とは「養生の道」であり「衛生の道」でもある。日本では「養生」というと病気の療養、「衛生」というと清潔さとしてとらえられるが、神仙道では文字通り「生を養う」ことである」「生を衛(まも)」る」ことと考えられている。より良く生きるための方法を、老子はここで示しているのである。そして、その根本にあるのは「やり過ぎない」ということである。寡欲であるということである。そして、ゆったり、のんびり過ごすことが、人生を楽しく送る方途であるとするのである。