古道089

五大明王と五大力(3)
五大明王を通じて「力」を得ようとする信仰が修験道で深められた。修験道は自然の中で行われる。そうした環境で、意識の根源にまで触れる修行をしていると、そこには自ずから神道的なものが出てきてしまうわけである。神仙道では、こうした根源のレベルの意識に触れることを、祖気を開く、といっている。先天の気と後天の気が、ひとつになった時、祖気が開かれるのである。それは、すでに五大明王を超えた根源の「力」なのである。これが「五大力」の信仰となるわけである。

太上十三経注釈(299)老子 第二十二章
老子は「自然」であることが重要であると教えている。つまり「あるがまま」で良いとするわけである。しかし、人には欲望がある。「足るを知れば、不足を恥じることもない。多ければつまりは、惑うことになる」と注釈にあるような境地には、なかなか入れないものである。また、厳密に言うなら「あるがまま」であるということは、満足、不満足の評価をしないということである。満足、不満足、良い、悪いにとらわれてはならないのであるが、老子はどちらかというと良い方にとらえようとする。肯定的に考えて、それにとらわれなければよいというのである。ここに老子の魅力がある。