古道088

五大明王と五大力(2)
興味深いことに住吉大社にも、五大力さん、の信仰がある。
住吉大社はおもしろいところで、本来の住吉信仰のほかに、五大力さんや初辰さんなどの信仰を見ることができるのである。五大力は、五所御前なるところで、五、大、力と記された石を拾い集めてお守りとするもので、ここでは五大明王とは直接関係なく信仰されているようである。
つまり五大明王から五大力への信仰は、仏教信仰から神道信仰への変移であると考えらえるのである。その間にあるものとして興味深いのが瑞巌寺の秘仏の五大明王である。この明王は、三十三年に一度だけ公開されるというが、現在は三井記念美術館で見ることができる。どの明王も、体に比して頭部が大きく、一見して子供のようなのである。神道では童子神、小さな神は、力のある神とされている。そうしたものとして瑞巌寺の五大明王を見ることができると思われるのである。

太上十三経注釈(298)老子 第二十二章
注釈では「窪んでいるからこそ、それを盈(み)たすことができる」に続いて「何かを譲るからこそ、何かを受けることができる」とし、「弊(やぶ)れるからこそ、新しくすることができる」「剥げてしまうからこそ、つまりは復することもできる」「少なければこそ、得ることができる」と同様の例をあげている。一見してマイナスの状態も、プラスの状態への準備段階と考えることができる、というものである。これも陰陽転換の教えである。
陰陽の転換を得るには、その「時」をとらえなければならない。陰陽転換の「時」のことを「機」という。天機ともいう。これはとらえようとしても、とらえることはできない。常に無為自然であることによって自ずから得られるものである。つまり「得ようと思わないからこそ得られる」わけである。