古道067

太上十三経注釈(277)老子 第二十一章
男女が交わり、子供が生まれる一連の状況を「道法を象徴するもの」と注釈では述べている。そして、それは「初めに『象あり』とされていて、次に『物あり』とあり、そして『精あり』となっている」のと同じであるという。既に前回でも触れたが、「象」は「性」であり「一」でもある。「命」は「性」とひとつになるので、ここで「二」となる。そして母体において、嬰児が孕まれることになるのである。そして嬰児である「精(後天の体)」が出産れる。これは道の感覚(象)を得られたならば、それを身心に定着(物)させる。そして、それによって、自然、道と一体となた行為(精)が生み出されるのである。

好相を見る(続)
「セン如房受者好相日記」(金沢文庫)にも、夢で十一面観音や文殊菩薩から教えを受けたとする記述がある。それによれば、二月の八日から九日にかけて、八日の寅刻には観音から錫杖を与えられる夢を見て、九日の巳刻には同じく観音から戒を記した本を与えられる夢を、そして同じく酉刻には文殊から教えを受けた夢を見たとするのである。
寅刻は4時ころ、巳刻は10時ころ、酉刻は18時ころである。4時はともかく、10時や18時にも「夢」を見ていることからすれば、これが、意図的に行われた行であることを知ることができる。この文書が記されたのは永享四年(1132年)とされるが、このころの絵巻などには寺の本堂や軒下で横になっている人が描かれている。こうしてセン如房も、夢を見ていたのであろう。夢の中で観音、文殊に出逢い、特別な教えを受ける。これが「仏」との出会いであったわけである。ただ本来の仏教では、こうした幻視をすべて「空」なるものと考える。