古道083

アイコンとしての弁財天(1)
弁財(才)天は、もとはインドの神でサラスバティーといった。それが仏教に取り入れられて日本に入って来たのである。日本では宇賀神を頭に頂く形になるが、古くは楽器を引く女神であった。江島神社には、琵琶を引く女神の弁財天と、宇賀神を頂く弁財天の像が祀られている。宇賀神は、稲、米の神とされ、稲荷神と同一とされる。また宇賀神は蛇体の老人でもある。
宇賀神弁財天は、日本で考え出されたアイコンである。これが何を象徴しているかといえば、ひつとつには、老人と若者というシンボルを見ることができる。そして男と女である。つまり、これらは「老と若」「男と女」の合一を示しているのである。相反するものの合一である。これを神仙道では坎離の合一という。坎離の合一は、また周天の完成をいうものでもある。

太上十三経注釈(293)老子 第二十二章
武術を習うと、それを試したくなる。そうして争う必要もないのに、争いを求めるようになる。そして身心に疵を受けることにもなる。これでは武術を習う意味がない。老子は「ただ争わざる。故に天下よくこれと争うことなし」と教えている。これは他人と争わない、ということと同時に、自分の心身においても「争い」の要素をなくすことが、真に争いから逃れる道なのである。
力を入れない柔らかな身では争うことはできない。静かな心をしても争うことはできない。太極拳では、こうした争うことのできない心身を作るのである。そうすることで争いの世界から逃れようとしているのである。