古道056

太上十三経注釈(266)老子 第二十一章
ここでは「孔徳」について説明をしている。孔徳の「孔」には広い、という意味がある。解説ではこれを「空」や「大」としている。この大いなる徳の器の中に入っているものについての教えが、ここでは記されてるわけなのである。そして、そこに入っているのは「道」である、とする。つまり「徳」と「道」とは、ひとつであるということである。『老子』が『道徳経』とされるように、道家にあっては「徳」と「道」とはひとつのものなのである。

太極拳の歌(続)
前回、紹介した「あふれるひかり』には「手をはらい敵を地に伏せたたかえば見えぬ敵おり太極拳
に」」が、優れているのは、それが道歌となっていないところである。太極拳を実際に修練している人が太極拳の歌を作ればともすれば、道歌になってしまう。この歌で扱われているようなことも道歌であれば、
「手を払らひ敵を倒して戦ふと思へば己が心動かず」
といったようにもなろうか。太極拳の形において攻防は「未発」であるから、それが明確に「技」として意識されることはない。一方、陳家砲捶(一般には陳家太極拳)では「技」は勁を放ってしまうので、既発となる。これは本来の太極拳とは大きく異なるところである。