沈身を得る(金鼎通玄章第十 その4)

「キョウ、湧泉に至(およ)べば、三界は家となる」

キョウは、「はこがまえに貴」で、箱のことである。ここでは、身体のことである。

湧泉におよぶ、というのは、気が落ちることである。

心が「静」を得れば、気は落ちる。これを沈身という。

沈身を得たときが、修行の第一歩となる。

かつては、沈身ができるまでは「学生」で、沈身ができてから初めて「弟子」となることができた。

普通は、数年で沈身は得られるが、なかには十年くらいかかる人もいる。また、生涯、沈身を得られない人もいる。

三界とは、過去・現在・未来である。これが、我が家となるとは、道(タオ)を悟る、ということである。

究極の境地への悟りも、沈身から始るのであり、これを得られたならば、あとは修行を進めれば、自ずから道(タオ)への悟りは得られるのである。