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<<   作成日時 : 2017/07/13 18:16   >>

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陳微明の太極拳論(46)
十四、往ったり来たりの動きは、折れ曲がているようであるが途切れることがない。進退も転換するので途切れることがないのである(往復はすべからく折畳するがごとく、進退はすべからく転換あるべし)
【「折畳」とは虚実の変化のことである。その変化は、きわめて微細でなければならない。太極拳で相手の勁を裁つ(截勁)のを行う場合には、だいたいにおいて「折畳」を用いるのである。外的には勁が裁たれていないようであっても、内実はすでに「折畳」になっているのである。進退には歩法を変化させなければならない。退く中にも進み勢いが含まれていなければならないのである】

太上十三経注釈(562)老子 第三十六章
闘いの場における「和合」は、愛情表現としての「和合」と同じである。愛情の行為においても、闘い、対立の要素は含まれる。愛憎半ばする、といわれるゆえんである。太極拳では、闘いの中の和合を「おおいなる和合」として「太和」というのである。この「太和」の気を開くことが、太極拳修行の根本であり、最後の悟りとして目指すべきところでもある。
対立の中の和合は、しかし簡単に見出せるものではない。注釈には「この理は微妙であるが明かなことである。そうであるから『微明』というのである」と述べられている。「微明」とは薄明りのことである。よく見えないところのものである。これを知るのが太極拳の修行なのである。ただ驚くべきことに太極拳では「微明」を悟る方法を具体的に考案したのである。それは感覚を「微細」にすることであった。闘いにおける対立を「微細」に観察することで、そこに「和合」の見出せることを発見したのであった。

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