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<<   作成日時 : 2017/06/30 18:37   >>

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陳微明の太極拳論(33)
十三勢行功心解

一、心で気を動かす場合には、沈着でなければならない。沈着であれば気は骨の中に沁みとおることになる。気を全身に運ぶ場合には、本来の動きに違うようではいけない。本来の動きのままであれば、つまりは心のままに気は動くのである(心をもって気をめぐらせるは、務めて沈着たるべし。よって、よく収斂して骨に入るなり。気をもって身に運ぶは、務めて順遂せしむべし。よって、よく従心に便利たり)
【「心で気を動かす」とは、つまりは「意は気の到るところに行くものである」ということである。こうした時に、意(こころ)は沈着でなければならない。こうなると「気は骨の中に沁みとおる」ようになるのである。特別に気を運ぶ方法などはない。「気は骨の中に沁みとおる」ための功を長い間積んでいると骨もまた重くなって、内勁が育ってくるのである。「気を全身に運ぶ」とは、つまりは「気が体の中を動くように体も動く」ということである。気の流れは自然のままであるべきである。そうであれば体をして心のままに動けるようになるのである。つまり、応用変化は心のままであって、なんら滞ることもないのである】

太上十三経注釈(549)老子 第三十五章
注釈では「ただひと時、酒をよく飲み、歌を楽しむに過ぎない。大道とはそうしたものではない」との警鐘を見ることができる。大道とは一時の楽しみで終わるようなものではない。深い味わいの永遠に続くものなのである。また大道は一時の熱狂で妄信されるようなものでもない。よく神仙道では儒家、仏家、道家の合一を説くが、仏家(仏教)では、いわゆる原始仏教、阿含経あたりが、神仙道では最も重視されるであろう。後の仏教のように経典に書いているから、それを信じるというのではなく、自分で考えてみる、というあたりの姿勢が神仙道に近いわけである。神仙道において重視するのは、信仰ではなく思索である。

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