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<<   作成日時 : 2017/06/29 21:25   >>

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陳微明の太極拳論(32)
十九、ここに示したことはそれぞれ重要なことである。一字も余分なことはない。よく智慧がなければ、これを悟ることはできないであろう。先師はこうしたことを軽々に伝えることはなかった。適切な人でなければ、おそらくは正しくこれを練ることはできないであろうからである(この論、句句切要たり。ならびに一字も敷衍陪シンすることなし。つとに慧あらざるは、悟るあたわざるなり。先師妄伝するを肯ぜず。独り人を選ぶにあらざれば、また恐らくは工夫を枉費せんのみ)
【太極拳の精緻奥妙は、すべてこの論に出ている。智慧のある人でなければ、その真意を悟ることはできない。太極拳はただ形だけでその価値を知ることはできないのである】


太上十三経注釈(548)老子 第三十五章
ただ大道は生きるために必要なものではあるが、大道を見失った人にはなかなかその真価を理解できない。「あまりに楽しい音楽やあまりに美味なる食べ物は、旅人の足を止め、快楽をむさぼらせる」とあるように、あまりに人々の好みに適合して作られた音楽や食べ物は、それにひかれて大道を見失ってしまうことになりかねない。こうしたことを避けるためには、常に「柔」と「静」の視点から物事を見るようにすることが重要である。そうなると、大道からおおきく外れることはあるまい。太極拳双魚図には陰の体の魚には陽の目がある。陽の魚には陰の目がある。このように、あらゆることに一点の反対の視線を入れることが、誤った価値観に流されないためには必要なのである。

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