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<<   作成日時 : 2017/06/28 21:25   >>

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陳微明の太極拳論(31)
十八、こうしたことを、少しの差ではあるが、誤りははなはだ大きい、というのである。学ぶ者はこうしたことを精しく知らなければならない(これを差の毫里なるも、謬りもって千里とす、という。学ぶ者、詳らかに弁ぜざるべからず)
【太極拳は、相手と粘をして動くのである。つまり密接に粘がなされていれば、相手の動きに応じることができるわけである。これが「少しの差」もないという状態である。しかし、少しでも粘から離れることがあれば、相手をコントロールする機会を失ってしまうことになるのである】


太上十三経注釈(547)老子 第三十五章

人は大道をもって「この世に現れて天下に遊ぶ」のである。そうであるから「やすらかで、何の患いも本来はない」のである。また「ただ平和で安らか」なのである。神道ではこれを「和魂(にぎみたま)」といったり「幸魂(さちみたま)」といったりしている。「幸」とはものが生まれること、生命力に満ちていることである。これに対して「荒魂(あらみたま)」や「奇魂(くしみたま)」は、荒々しく、考えられないような働きをいうもので、これが時に起きることで、乱れた和魂や幸魂の働きが回復される。和魂や幸魂の働きが充分でなくなった時には、こうした魂の働きで滞ったようもの(穢れ)を除去するのである。

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