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中国武術では「学生」と「弟子」は、峻別されている。弟子として求められるには、師の特別な許可が必要で、特に「入室弟子」と称することもある。かつては弟子になるまで十年ほどもかかったという。 学生と弟子の違いはどこにあるのであろうか? それはイメージの共有にある。同じ動作でも、そこから得るイメージが代々、伝えられたものと共通である人物に限り「弟子」となることが認められるのである。 師は弟子に、流儀の持つイメージを業を通して伝えようとする。そうであるから、「業」の形そのものは、時に違いが生まれることもある。その場、その人に最も適した形=業で、「イメージ」を伝えようとするからである。 拳譜が重要とされるのも同じで、そこにある技法名は、動きのイメージを記したものであるからに他ならない。 熊野の神社で植芝盛平は、引土道雄に「道雄さん、見たか」と問うたところ、引土は「はい」と答えたという。こうしたエピソードからすると、盛平における十段は、中国武術でいう「入室弟子」のようなものであったのかもしれない、と思うのである。引土は、盛平と同じものを見た、イメージを共有したのである。 |
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